情報格差って,そんなもんじゃないだろ.

http://labaq.com/archives/50776529.html
http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20070922/p2
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/001909.html
釣りなんだろうが,あえて釣られてみる.


将棋の世界での話だ.

  • 要は「情報の整理のされ方と行き渡り具合の凄さ・迅速さ(序盤の定跡の整備、最先端の局面についての研究内容の瞬時の共有化、終盤のパターン化や計算方法の考え方など)」と
  • 「24時間365日、どこに住んでいようと、インターネット(例、将棋倶楽部24)を介して、強敵との対局機会を常に持つことができる」

という2つの要素によって、将棋の勉強の仕方が全く変わってしまった。

そしてそれによって、将棋の勉強に没頭しさえすれば、昔と比べて圧倒的に速いスピードで、かなりのレベルまで強くなることができるようになった。そこが将棋の世界で起きているいちばん大きな変化なのだ、と彼は言った。

将棋の世界では,今までは勉強の素材となる「強い対戦相手」や「プロ棋士同士の棋譜」が簡単には手に入らなかった.それが手にはいるようになったことで,才能がある人が必死に努力すればプロ一歩手前まで一気にこられるようになったという話.


これを例えばITにあてはめると,大昔は高性能なコンピューターを手に入れるためにはペンタゴンでもスポンサーにつけて,国家プロジェクトを起こすしかなかった.もっと時代が進むと大学研究室でも利用できるようになった.それが今では10万円程度で,個人でも容易に手に入れられるようになった.ソースコードに関しても,LinuxgccJavaやその他諸々のOSSプロダクトを,ネット上からソースコード込みで無料ダウンロードできる.専門書についても最新の洋書だってamazonで買えるご時世だ.

さあ,これで勉強に必要な材料はそろった.あとは才能のある人がコンピューターの勉強に没頭しさえすれば,プロ一歩手前まで行くのは簡単だ.


そこで,例えば

  • 例えばOSSプロダクトに目を通して理解し,それを改良した人間がどれだけいる?
  • 例えば英語がペラペラに喋れる人はどれだけいる?*2
  • 分からないことを調べるのに,英語版Wikipediaを読んで,さらにそこからもう一段先まで調べて,専門書も買って読んで,内容を比較検討する人がどれだけいる?


天才ならば独学で学んでも最先端の技術を身につけらるかもしれない.だが一番簡単な手段は,専門教育を受けることなのだ.独学で学ぶのはそれに比べれば遙かに難易度が高い.そして専門教育を受けてさえも,そこそこの素養と数年にわたる懸命の努力は必要なのだ.*3

残念だけど玉石混淆の情報の洪水*4に巻き込まれてるだけの人間は,最低レベルの技術者にさえなれはしないのだ.


少し整理してみると,将棋を身につける時には

  1. 将棋のルールを覚える
  2. 勉強に必要な素材(棋譜など)を揃える
  3. 素材を読んで,それを理解して,自分のものにする.
  4. 実践する.特に,強い敵と対戦する.

が必要なんだけど,将棋においては2と4のコストが非常に高くてボトルネックになっていたんだけど,今では安くなったので勉強の仕方が一変しましたというお話なんだな.

でも世の中には1と3のコストが非常に高い世界もあるのですよ.*5


元の記事では,この「インターネットを使うことで,学習速度が格段に向上する」ことを根拠にして,パソコンを使えることが貧富の差に繋がる云々という話に繋がるわけだが,根拠となる「インターネットは『高速道路』」というのはそこまで万能なものではなく,あくまで将棋という特殊な分野において顕著に見られるという以上のことは言えない.

まあパソコンとインターネットくらいは使えるべき,様々な情報を入手して比較すべきということまでは否定しないが,「ぐぐる」ことを学習だと勘違いしている人達に対してはインターネットも名著も猫に小判となることだろう.

私にとって最もシンプルなアナロジーは本がどう使われているかだ。本に書かれている事柄の範囲は広い。さまざまな人々がさまざまな本を買う。本はあなたが啓蒙される機会を与えるが、あなたを無理やり啓蒙しはしない。本を読む読者になるだけであなたは変わるが、それだけで啓蒙されるわけではない。同様に、コンピュータユーザーになるだけであなたは変わる。例えばインターネットを使えるようになりさまざまな物事を見つけるとあなたはそれまでと違った人間になる。しかし必ずしも啓蒙されるわけではない。

過去1世紀の電子技術のほとんどは退行的だ。というのは電子技術の多くは書くことよりオーラルコミュニケーションを奨励するからだ。昔、人々に読み書きを強いた多くのものは今は存在しない。楽しみのために読まなければ、恐らく必要になったときには読む鍛錬が足りていないだろう。書くこともどんどん不要になっている。将来はもっと、コンピュータが、“学ばないこと”の言い訳になるかもしれない。米国の多くの学校は、子供がGoogleで何かを見つけコピーすると、それで学んでいると思っている。しかし私は、子供がそれについての作文を書かない限り学んだことにならないと主張している。作文は思考を組織化する。単に博物館の展示物を集めるだけではない。しかしほとんどの学校はその違いを分からない。

だから、理想的未来は人々が今日よりも、よりよく考える未来だが、ありそうな未来は、人々がよりよく考えないでしかもそれに気付かない未来かもしれない。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm

*1:実は思ったよりは売れているんだが,それでも「飛ぶように」とまではいかない.

*2:最低限読み書きができないと,最新の情報に触れることさえ出来ない.英語版Wikipediaの情報量は日本語版Wikipediaの比じゃない.書籍についても同様.

*3:天才さえも99%の努力で生まれるものなのだから.http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/09/josh-waitzkin.html

*4:特にIT関係では間違った情報は非常に多い.

*5:ちなみに私はもちろん「本は買って読む」派.この手の専門書を借りてきても,2週間以内に読んで理解して記憶できるわけがないでしょが.