曽野綾子のアパルトヘイト賛美問題

いまさらだけどメモ.

曽野綾子の透明な歳月の光

労働力不足と移民 「適度な距離」保ち受け入れを

最近の「イスラム国」の問題などを見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずっかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。

特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語が出来なければならないとか、衛生上の知識が無ければならないとかいうことは全くないのだ。

どこの国にも孫が祖母の面倒見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識も無い。しかし優しければそれでいいのだ。

「おばあちゃん、これ食べるかい?」

という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けてない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性達にきてもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。

しかし同時に移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために居住を共にするということは至難の業だ。

もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。

黒人は基本的に大家族主義だから彼等は買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20〜30人が住みだしたのである。

住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。

間もなくそのマンションはいつでも水栓から水の出ない建物になった。それと同時に白人は逃げだし、住み続けているのは黒人だけになった。

爾来*1、私は言っている。

「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」

こりゃダメだろ.*2

ド直球でアパルトヘイトや人種差別問題を肯定している上に,その点を除外しても内容的にもおかしい部分が散見される.


まず第一に,大家族主義は文化で決まるものであって,人種で決まるものではない.ドバイのイスラームだって大家族のようだし,インドもわりとそうらしい.日本人の核家族化だってごく最近の話では無いか?

インドな日々(1) (HONWARAコミックス)

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それに大家族が狭い部屋に越してくるのは,大家族の問題というよりは貧困の問題.金があれば大家族なら広い住宅へ引っ越す.逆に日本でも金が無くて,一部屋で共同生活している留学生とか若年ワーキングプアとかありえるよね?*3

また人数がちょっとくらい増えたからといって,水が出なくなるか?:電力ならそうだろう.たとえば住人全員が同時に人数分のドライヤーを動かしたりすれば,容量を超えて電線が過熱して火事になる恐れがある.だからこそ各家庭にブレーカーがあり,許容限度を超えないようになっている.だが水道はちょっとくらい蛇口を開けた所で,水圧が下がることはあっても出なくなったり「キャパシティを超えたので水道管が破裂した」などということは起こらないだろう.

人数が増えた結果水道が出なくなったとしたら,それはよほど安普請の欠陥住宅だったというだけではないか?「水栓から水が出なくなったというの事態が作り話ではないか?」という指摘ももっともだ.

そして仮に水が出なくなったとしても,なぜ白人だけが逃げ出したのか??人間は水が無くては生きていけない.水が出なくて困るのは人種や老若男女に関係無いよ.白人が逃げ出すようなマンションなら黒人だって逃げ出すさ.そこの部分の考察がスッパリ抜け落ちてる.

またもし本当に単に人数の問題なら,賃貸契約書に最初に書いておけば良いだけ.



介護で受け入れる短期の出稼ぎ労働者は移民だろうか?仮に移民と呼ぶとしても,それは移民の一般的な姿ではないと思う.

逆に語学力については,介護だとかなり幅広い語彙が必用だと思うな.被介護者はやってほしいことをなんでも頼むだろうから,その話題と求められる語彙の幅広さはホテルの予約やファーストフードの注文などの比では無い.

たとえば毎日みかんを食べさせるだけならいいけど,食材一つとっても国によって違うんだ.たとえば「みかん」と「オレンジ」と「八朔」と「金柑」を,日本文化を知らない日本語初級者に果たして区別できるだろうか?単にその単語を覚えるだけでは駄目で,外見の違いも知ってなければならないんだよ.それが全ての食材,全ての日用品について起こるんだもの.かなり大変だよ.*4


国際コミュニケーションを楽しめるおじいちゃんおばあちゃんたちなら,最初の頃は見習い扱いで手取り足取り教えてあげるのもありだろう.でもこれは「外国人を理解するために居住を共にするということは至難の業だ」なんて思ってるような,頭の固いおばあちゃんには無理な相談だろう.


介護に来てもらうのが若い女性たち限定である必要性は?なぜ男性ではだめなのか?中高年になったら強制送還するの?それは移民じゃなくて単なる出稼ぎ労働者や,或いは奴隷だよなあ.


イスラム国は例外であり,それを異文化理解の例として出すのは卑怯では無いか.日本人だって麻原彰晃オウム真理教の考えを理解できる人は少数派だと思う.それとも曽野綾子麻原彰晃の親友だとでもいうのだろうか.

http://p9.hatenablog.com/entry/2015/02/18/205213

私、南アに行って、今日初めて数えてもらったんです、9回くらい用事で行ってるんです。そういうときに、限りあることですけれども、向こうの人がいろんなことをおっしゃるんです、外国人として私たちが行くと。その中からやっぱり難しさとかいろいろあるんだけれども、それが今のアメリカなんかの例えばリトルトーキョーですか、リトルトーキョーがどこにあるのか知らないんですけれどもサンフランシスコ?なんか小さくなってきちゃったって言いますね。なんとか私の友達なんかはそれを元の通りに華やかなものにしたい、そうすると一種の分離してそこで独自の生活を作っていく便利さっていうものがあるんですね。私にとっては食べモノなんですけどね。リトルトーキョーに行くと昔の、あなたなんか絶対ご存知ないことね、田舎に小さな餅菓子屋っていうものがあってね、そこに饅頭やお赤飯なんかが売っているで、買いに行けるというお店があると伺いました、私アメリカとか知らないんですけれども。だから便利いいんだ、と。

私ここのところずっと書いているんですけれども、私の夫はくさやのひものというのが好きなんですよ。もし私たち一家がヨハネスブルグに住んでて、どなたかがおみやげにくさやのひものを持って来て頂いたらね、やっぱり躍り上がって喜んで、きっと焼きたいんでしょうね夫は、するとここはちょっとそれをやったら大変だってなことになるくらいならね、アジア人地区に住みたい、ぜひとも。そういうのがあればですよ。もう、無いのだろうと思いますけれども。

だから、そういうところが私気楽でいいと思うのですよね。これをいちいちね、私の方が差別されるのを望むなんて、日本語で考えたことないです。自由でね。だからチェスのクラブがいろいろなところでジェントルマンたちがチェスのクラブをするとかね、女たちだけがよって友達の家の寝室でもってファッションのことをやるとか、別々でいいと思うんですよ。そのようなことなんですよ。

そういう形のね、これは差別じゃない、区別なんですよ、能力のね。だから差別と区別を一緒にしないで頂きたい。私は区別をし続ける。芸術家とか、芸術、文化、学問て言うのは区別のものですからね、区別が無かったらどうにもならないんですね。それは各々が別の種類の才能ですから、差別をする必要が無いものなんです。区別であってね。差別なんかしなくたって、荻上さんがお書きになるものは比べようがないんですね。そういうものなんです。どれが上でどれが下というものではないんです。その質の区別というのが私どうして悪いのか未だにわからない。それだけのことです。そういうものがある、ちょっと矛盾するものですね、これをどうしたら社会の方々のお知恵で合理点が見いだせるか、これをやっていただかないと働きに来てくださる方々も幸福にならないし、こちらも、ああ良かったな、家族の一員になって良かったなと思えない。そこのところを何卒お願いしますということです、はっきり言いまして。

「私は差別してません.これは区別です」というのは差別主義者の決まり文句.この人は自分の行ってる差別に無自覚なんだろう.

仮に「能力による区別」を認めたとしても,それと「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」という発言とに,どうやって整合性がとれるというのだろう?


そもそも「日本食」の定義ってなんなのさ.

世界的に見ればラーメンもビーフカレー日本食扱いらしいぞ.*5


例えばの話だけど,イスラーム教徒向けにハラールな食材が入手できるスーパーが,日本で一カ所しか無かったとしたら,*6日本のイスラーム教徒の多くがその地域に固まって住むことになるだろう.だがしかし,それは非イスラームの人間がその地域に住まなくなるとか,非イスラームの人間がそのスーパーでハラールな食材を入手してイスラームの食事を作ってはいけないということを意味しない.実際には他の人種や文化の人々が混在することになるだろう.*7

まして宗教的タブーがなければなおさらだ.仮に東京に天麩羅,スキヤキ,寿司,牛丼,それにラーメンやカレーライスなどなどを提供する「日本人街」があったとしても,その近くに日本人以外が住んじゃいけないだとか,日本人はチャイナタウンに住むべきではないみたいなルールに,なんら合理的な理由はない.日本人が日本酒と納豆が嫌いで,ワインとブルーチーズを好んでも何が悪い.

http://open.mixi.jp/user/2247149/diary/1938697550

さて、外国人介護労働者を技能実習生として受け入れる場合の問題です。 

 一番の問題は、介護には技能も知識も要らないという曽野綾子氏の断定です。そんなことは全然ありません。体位交換やベッドや車いすへの移乗・移動は無手勝流では危険であり不安を与えます。食事・トイレ・口腔ケア・投薬等々の介助にも技能が必要です。また緊急時の対応はより重要です。

 高齢者に対するやさしさがあれば「私のおばあちゃん」という特定の人に対してだけなら介護そのものは不可能ではありませんが、たとえば10人の高齢者のそれぞれの介助をしようと思えば一定レベル以上の技能・知識は不可欠です。

 それは介護事故に誰が責任を持つのか(?)で大きく異なります。おばあちゃんと孫という親族間の介護なら責任を問われることはあまりないかも知れませんが、第三者が行うときには必ず責任が生じます。で、やさしさがあれば免責されるのでしょうか。

 残念なことですが今や介護事故をカネをせしめるチャンスとばかり待っている利用者家族も少なくありません。

 大きな法的リスクを抱えて事業者がレベルの低い介護人材を雇用するとは思えません。

 次ぎの問題は介護記録が書けないことです。日本語がかなりできる外国人でもひらがな・カタカナ・漢字で文字を書くことはできない場合が多いことは周知です。ところが介護記録は必ず残さなければなりません。

 行政による実地指導では誰にどのような介護を行ったのか記録がなければ、提供していない介護サービスを請求したとして介護報酬の返戻を求められますし、本当に提供していない場合には故意犯として行政処分・告訴という強硬な手段もまれではありません。

 こういう実態を知っていれば「やさしさがあれば介護はできる」という文章は書けません。以上から、曽野綾子氏には介護に対する理解が乏しいと思います。

介護記録については,英語でも可にすればいいだけじゃないの.日本の担当者の方に英語を勉強してもらった方が,数多くいる外国人介護者に日本語を学んでもらうよりは遙かに安くつくはず.

ベトナム人被告はなぜヤギを食べた 「過酷な生活」証言」

http://www.asahi.com/articles/ASH2D7RCMH2DOHGB015.html
ついでにメモ.

岐阜県美濃加茂市で昨年8月、除草用に飼われていたヤギを盗み、食べたとして、窃盗罪に問われたベトナム人の被告は、技能実習生として来日していた。岐阜地裁の公判で、日本での過酷な生活について証言した男たち。なぜここまで追い詰められたのか――。

 起訴状によると、いずれもベトナム国籍のブイ・バン・ビ(22)、レ・テ・ロック(30)の両被告は仲間5人と共謀し、昨年8月9〜10日、美濃加茂市の公園でヤギ2頭(時価計約7万円)を盗んだとされる。除草効果を研究するため、岐阜大学教授が市などと協力して飼っていた16頭の「ヤギさん除草隊」のうちの2頭だった。

 法廷での証言などによると、ロック被告は来日前、ベトナムの田舎町でタクシーの運転手をしていた。両親と妻、娘の家族5人暮らしで、月給は日本円で1万6千円ほど。暮らしは貧しかったという。

 「日本で働けば月給20万から30万円。1日8時間、週5日勤務で土日は休み。寮あり」。こんな話を仲介会社から聞き、「思いつかないほど素晴らしい」と飛びつき、来日を決めた。仲介会社には自宅と土地を担保にして銀行から借金した約150万円を支払い、2013年3月に農業の技能実習生として来日した。

 長野県の農業会社でトマトを育てる仕事に就いたが、勤務条件は聞かされていたものとはかけ離れていた。毎日午前6時から翌午前2時まで働き、休みはない。午後5時までは時給750円、以降は1袋1円の出来高払いでトマトの袋詰めをした。1千袋詰めた日もあったという。

*1:「じらい」、それから後、それ以来。

*2:最初は「人種差別で真っ黒」とか書こうと思ったけど,さすがにこの文脈でその言い回しは危険と思って避けることにした.

*3:そしてそういうすし詰めで共同生活していても,水が問題になることはないと思う.問題が出るとしたら,ゴミ出しとか異臭や騒音の方じゃないかなあ.

*4:日本人でも「ズッキーニ」とか「ビート」や「ヤムイモ」「タロイモ」のような単語は知っていても,実物を見て区別できる人がどれだけいる?

Oxford Picture Dictionary: English/ Japanese

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Longman Photo Dictionary (3E) Paperback with Audio CDs (3) (Longman Dictonaries)

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こういう辞書を使う理由の一つが,そもそも日本では見たことの無い物の外観を確認するためだったりする.それこそ郵便ポストや「みどりの窓口」(or 券売機)のようなものでさえ,国ごとに異なっていたりするのだから.

*5:http://en.wikipedia.org/wiki/Ramen 「Ramen (/ˈrɑːmən/) (ラーメン rāmen?, IPA: [ɽäꜜːmeɴ]) is a Japanese noodle soup dish.」

*6:実際にはモスクだけで百カ所を超えるらしいので,イスラーム向け食材のスーパーが一カ所って事は無いと思う.僻地は通販頼みという可能性もあるけど.

*7:しかもイスラームの例にしても,決して「人種」によって住み分けているわけではない.イスラム教徒という同じ文化(特に食文化)を共有する人たちにおいては食文化の必要性からこうなることもあるというだけで,イスラームの比率が高くなれば,いずれハラール専門店も増えてもっと分散して住むようになるさ.