創造的開発は芸術である

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20060330/233831/

創造的開発とは,自分の世界を創造することである。芸術と同じく,「個性のほとばしり」であるアイディアに基づいていまだ世の中に存在しない製品を開発することである。成功という希望と失敗という不安を抱き合わせて,人跡未踏の荒野を羅針盤も持たずに進むようなものだ。

というわけで官僚主義とはほとほと相性が悪い.

官僚主義だと,「これこれの行程を時速何kmで何時間ずつ進むことで一日あたりどれだけ進みます.そうすると全行程を進むのに何日必要で,食料がどれだけで,テントが何張り,トラックが何台とガソリンが何L必要です.よって経費が云々....」という計画書の作成をまず要求する.

ところが創造的開発は「人跡未踏の荒野を羅針盤も持たずに進むようなもの」なのだから,全行程の距離も分からなければ,そこにエルドラドがあるのか地獄へ通じる門があるのかさえも分からない.それどころか,そもそも何らかのゴールがあるのかも分からない.もちろん計画書の作成など無意味だ.*1

新しい概念を創造したとしても,開発者の頭の中は誰も分からないから,大いに自分の考えを広める必要がある。ところが,良いアイディアほどその価値を理解してくれる人が少ないのが普通だ。最初は無視され,低い評価しか得られない。

最初だけなら我慢もしますがね.初めから人の話を聞く気もなければ賛成も反対もしない人を相手に話をするのは,虚しいですよ.自分なりの信念があって批判したり反対したりするのならいいが,実際には「理解してくれない」というよりは「聞く耳を持たない」か「理解する能力がない」だから.そのくせ,長い時間会議を開いて沢山の書類を作ることで,自分たちが何かしたつもりになっているから質が悪い.

日本社会では「沈黙は金」とか,摩訶不思議な「チ−ム・プレイ」が尊ばれる。チ−ム・プレイも重要であるが,創造的開発では日本社会における美徳とは全く相反する行動が要求される。

これは全く同感.

会議では,他人の間違いやアイディアの欠点を指摘し,逆に相手が正しければ速やかに相手のアイディアを受け入れ,さらにそのアイディアを強化する提案すらしなくてはならない。討論している間に新たなアイディアを考え出す,柔軟で回転が速く強い頭も必要だ。

でもそれをやるとね,「協調性がない」という支離滅裂なレッテルが貼られるんですよ.正否はどうあれ,人のいったことに賛成して/迎合して誉める人が「協調性がある」とされ,間違っているものに大して間違っていると主張する人は「協調性がない」とされる.

そんなお芝居みたいな会議で時間を潰す企業に,果たして未来があるだろうか.

*1:これなんかも同様の話だな.http://d.hatena.ne.jp/satoshis/20060323#p2