情けは人のためならず
「全体最適 vs. オレ様最適」http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090416
何故かこんな,糞つまんねーエントリが人気を集めてるが,全く理解しがたい.「情けは人のためならず」という言葉も知らんのかと.*1馬鹿らしくて真面目に読む気も起こらない.相変わらずid:Chikirin氏は一流の釣り師だが,論理的には破綻しており見るべき物はなにもない.*2
- 作者: 芥川龍之介
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http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090416
- id:bronson69 なぜこのネタでゲーム理論の話が出てこないのかな?*3/みんなが「全体最適」を求めているとき、「オレ様最適」を求めることは、「オレ様」にとっても不利に働く、のではないかな。
- id:Yagokoro 囚人のジレンマは、自己犠牲ではなく、合理思考で最適化されるんだが。
- id:hahiho パイの奪い合いと考えると全体最適と俺様最適は対立しますが、なるべく大きいパイを作る事から考えると俺様最適と全体最適がある程度一致すると考えるのが現代自由社会と言う物です。
- id:ita 全員が自分最適を選ぶと全体最適になるような利得行列=法律or税制を作るのが政治家の役目
「利己主義と裏切りが支配する世界に「協力」が生まれる条件は:シミュレーション実験」
今回Helbing氏が行なったシミュレーションは、重要なのは移動と[成功の]模倣であることを示唆している。各個体が自分と関わりを持つ相手を自由に選ぶことができ[=移動]、彼らの成功を模倣するだけの賢明さを持つ場合、協調行動が発現し、全体に広まっていく。しかも、この状態の始まりは大規模なものではない。シミュレーションを何度も繰り返す中で、利己主義を捨てたのは20ユニットのうち1つのみであり、その選択は通常うまく行かなかった。「非常に長期間たったあとでは、同じ近隣のグループ内には、たまたま偶然で協調行動を取るだけに過ぎない2〜4ほどの個体が存在している状態になる」とHelbing氏は話す。「これは幸運な偶然といったレベルだ。一方で、ひとたび十分な大きさの[協調者の]集団が出現すると、協調者たちはかなりの成功を収めるようになり、裏切り者は協調者集団の行動を模倣し始める。その結果、協調行動は持続し、広まっていく」
http://wiredvision.jp/news/200903/2009030423.html
他人に情けをかけるのは表層的には自己犠牲に基づく利他的な行為に見えるかもしれないが,それは実は自分の身を守る利己的行為でもある.利他的な行為と利己的な行為は必ずしも相反する矛盾したものではなく*4,多くの場合において,それら(表面上の)利己的行為と(表面上の)利他的行為のバランスをとる仕組みこそが社会を成立させている.*5そして,その相反する様々な利害の調整作業を「政治」と呼んでいるわけだ.
単に利己的行為のみで成立するのであれば政治にも社会に参加しなければいい.しかし多くの人間は社会に参加するメリットとデメリットを天秤にかけて,自分の利己的行為を制限してでも参加するメリットを享受して,自己の利益を最大化している.
トリアージを全体最適の例で採り上げているけれど,これだって「自分が災害に巻き込まれた際に,自分が適切な治療を受けられる期待値を最大化する」という「利己的」な側面がある.あなたが「自分の利益を最大化する」という「(自分視点の)局所最適化」のためには,トリアージという「(表面的な)全体最適化」を受け入れるのが実に合理的な選択なのだ.人間は多くの局面において,こういう利己的で合理的な選択を受け入れて生きている.そのような合理的な行為が嫌で,それ以上の治療を受けたいというのであれば,自分専属の医者と集中治療室を持つ大金持ちか,さもなくば独裁者にでもなる他ない.
また全体最適の反対語は部分最適だけど,ぶっちゃけ現実問題としてはこれらはあくまで相対的に語られるもので,対立概念とも言い難い.たとえば企業と個人の対比において企業は「全体」だけど,バリューチェーンの中では「部分」でしかないし,大きな企業グループも企業グループの中の個人や企業からすると「全体」だが,一つの国の中では「部分」だったりする.一つの国家も世界から見ると部分だ.もし他の知的生命体とのファーストコンタクトを為しえたならば,地球さえも「部分」になるだろう.そして仮に自己の利益を最優先に考えたとしても,合理的判断に基づけば,他者(「全体」のうち自分を除く全ての部分)の利益を無視するわけにはいかない.真の部分最適は,全体最適を無視しては成立しえないのである.
たとえば,いまや高齢者中心となっている労働組合はバブル崩壊時に「組合員の利益の最大化」という「(労働組合にとっての)全体最適化」をおし進めた結果,若年層を切り捨てて就職氷河期を生み出した.*6それは短期的には自分たちの給与の維持という「(労働組合にとっての)全体最適化」(日本から見ると局所最適化)に繋がったが,これが企業の高齢化,スキルの低下,日本の少子高齢化,雇用不安,ネットカフェ難民や年金破綻などなどの数多くの社会問題をも生み出し,長期的には日本を滅ぼすことにもなりかねない状況になっている.
「若者の切り捨て」というのは労働組合という視点からは「全体最適化」ではあっても,日本という国レベルでみれば「局所最適化」にすぎず,それが日本という国レベルでの「全体非最適化」をもたらした.そしてそれは元々の労働組合や企業の存在をも脅かす結果となる.「組合員の利益の最大化」という局所最適化のためには,いつまでも「若者排除」という「全体非最適化」を続けるわけにはいかないのだ.
あと,「これは,みんなのためだから」「悪いようにはしないよ」という言葉が悪用されることも多いというのであれば,それは理解できる.こんなことを口にする上司や経営者や政治家がいたら,私はその人を信用しないだろう.
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id:ken-tak その議論は既に二五〇〇年ほど前にされていたような
よくわからないけど,旧約聖書にもそういうことが書かれてるのかな.