匿名ダイアリー「今から10年前、20年前の就活ってどんな感じだったんだろう」
http://anond.hatelabo.jp/20170430040636
今、毎日死ぬぐらいの勢いで就活サイトに登録したメアドにはお勧めの企業情報や「あなたと話したがっている企業があります」みたいなダイレクトメールが来ている。あと、登録した電話にも、なんかしらないけどかかってくるようになった(気持ち悪いので出たことは一回もない)
10年前、20年前には無かったんだろとか勝手に思ってるけど、前の就活って実際どんな感じだったんだろう。
いや気になるところでいうと、30年前から40年前、戦後直後や戦前の就活とかも知りたい。一体どんな感じだったんだ。
聞いたことやら,ぐぐってみたものやらをいろいろとメモってみる.
20年前までだとネットとケータイが普及したくらいで,やってることは今とそんなに大差ないと思う.変わったのは1991年の前後.
ザックリとこんな感じだと思う.
- (1980年代から?)1991年末まで: バブル景気.
- 1991年末: バブル崩壊.内定切りがニュースに
- 1992年から: 第一次就職氷河期
- 2000年頃から?:インターネット上のWebサイトも発達.申し込みハガキからオンラインからの申し込み手続きへとシフト.
- 2000年頃から2008年まで:新卒採用は若干マシに.(がバブルではない.)
- 2008年:サブプライムローン問題とリーマンショックに端を発する世界同時不況.第二次就職氷河期に突入
大きな波は1991年のバブル崩壊と2008年リーマンショックと世界同時不況.その間は若干緩んだようだが,前後に比べればマシというだけで,「小春日和」と呼ぶのがしっくり来るのではないか.
その後は,まさか本格的に春が来る前に,また真冬に逆戻りするとは思わなかったけど.
「父から聞いた、42年前の就活について」
http://mikihoshi.hatenablog.com/entry/2016/02/11/080000
- id:m_h 10年前はあんまり変わらない、説明会の予約のためにパソコン前でスタンバイしてたよ。42年前の父の就活の話の記事を書いてるのでよろしければ。→http://mikihoshi.hatenablog.com/entry/2016/02/11/080000
父「昔はねえ、みんなほとんど縁故採用。
どこの馬の骨かわからんジンを雇うわけにはいかんから、すでに働いとる人の親戚とか、兄弟とか、近所の人とか、同じ高校だった顔見知りとか、身元保証人ってほどカタいもんじゃないけど、素性がわかる人とだけ一緒に働く、みたいなもんだわ。」なんだか、ものすごーく排他的なムラ社会を感じる文言です。
タカシの外資系物語「タカシ・就職活動の頃」
1991年卒.バブル崩壊の年だが,おそらくはその年の三月に崩壊の前にすべりこんでいる.
セミナーに出ただけでその場で内定.Xデーには金に糸目を付けずに拘束し,学生を囲い込む.『戦後最大の好景気』に湧き,今から冷静に見ると狂気に満ちていた時代.これがバブルだ.
- 作者: 奈良タカシ
- 出版社/メーカー: あさ出版
- 発売日: 2006/01/25
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その1 http://www.daijob.com/crossculture/takashi/20041104.html
タカシ 「あのぅ …… 今日はだれと会うことになるんでしょうかね ? 」
ヒロユキ 「まずは、大阪支店の人事課長やな。その後、本店人事部の副部長に会って、それが終われば大阪支店長。それで終わり。ハイ、採用っちゅうわけや ! 」
タカシ 「ハ、ハイ、採用って、それで決まっちゃうんですか ? 」
ヒロユキ 「そうや」
その3 http://www.daijob.com/crossculture/takashi/20041118.html
コウソク旅行 …… 「高速」ではありません、「拘束」です。拘束旅行とは、内定を出した学生が他の銀行に逃げないように、数日間どこかの場所に缶詰にすることを目的としたもの。家に戻った頃には、銀行の「X デー」は終了しており、事実上、内定者は拘束旅行に参加した銀行に就職せざるをえない状況になっているという、世にも恐ろしい慣習です ( ちなみに、東京採用の同期に聞いてみると、東京採用組では、泊りがけのよな露骨な拘束旅行はなかったようです。大阪ならではの、「悪習」だった可能性高し。大阪商人の考えること、おそるべし …… )
ヒロユキ 「テニスのラケットもシューズも、明日の着替えも、ホテルのショップで買うてええよ。けど、ゴルフクラブは借りろよ。クラブセットまで買われたら、たまらん ……」
なんちゅう太っ腹ぁーーーーーーーーーーーー ! ホンマにええんかーーーーーーーーー ! 私は仲良くなった貧乏学生たちと一緒に、テニス用品一式と、水着、明日の着替えをホテルのショップで買いあさりました。締めてン万円なり ! まさに、「サル状態」です。ウキッキー。ホテルのすし屋で、トロ食べ放題。日焼けサロンにサウナ、ルームサービスでワイン飲み放題。ヨロレイヒー。まさに、至福のときやぁーーー。
今日もうな充「1994年の就職活動」
バブル崩壊後の第一次就職氷河期真っ只中.学生の就活にインターネットやケータイの存在感はあまりなく,まだ応募ハガキと固定電話の時代.
前編 http://d.hatena.ne.jp/sigekun/20140709/1404910122
1994年春。栗田青年は大量のハガキを書いていた。ハガキ職人だったわけではない。30代後半以上の方はお分かりだと思うが、当時は企業にハガキを送って資料請求し、応募書類を取り寄せた上でエントリーするというのが一般的な就活の姿だった。リクナビやマイナビといった就活サイトはもちろん存在しないが、各企業に送るためのハガキセットという通販のカタログのように分厚い本がリクルートや毎日から大学生の自宅に届いていたものだ。
ハガキを書いて資料請求をして会社説明会にエントリーする、というのはいわば合法的な表門からの就活であり、会社説明会の開始が7月1日以降というスケジュールということもあって、だいたい2月3月頃からハガキを書き始めるのが一般的で今と比べるとずいぶんノンビリしていた。とはいえ裏口の就活であるOB訪問は4月くらいから始まって就職活動解禁の7月1日前には内々定が出る、という裏口ゆえに全くの別スケジュールなのだが、三流私大の栗田青年には縁もゆかりもないことであった。裏口でエントリーできる学生は企業にコネのある有名ゼミか一流大学の学生にしか門戸が開かれていなかったからだ。
リクナビもマイナビもない時代、ハガキも履歴書も全て手書きゆえに時間もかかり気軽に大量にはエントリーできないので、今以上に業界・業種を絞るのが一般的だった。栗田青年の第一希望は移動体通信業界。携帯電話はかなり高額で全く普及していなかったが、
後編 http://d.hatena.ne.jp/sigekun/20140710/1404998864
就職協定によって7月1日まで会社説明会をしてはいけないことになっているので、当面の就職活動はOB訪問だった。前回、三流私大に青田買いは縁がないと前回書いたが、それでもNTTをはじめ一定規模の学生を採用する企業からは多少のお声掛けがあった。お祈りばかりだったが。そうこうするうちに7月に入って会社説明会が始まり、就活が(表面上は)本格化するわけだが、大半の学生はOB訪問という裏門からすでに内々定を取ってしまっているため、栗田としては狭き表門をなんとかしてくぐり抜けるしかなかった。このタイミングで放映されていた、就職内定して夏休みをエンジョイする学生を描いた月9ドラマの筒井道隆主演『君といた夏』が焦る気持ちにさらに拍車をかける。
ブクマ: http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170430040636
- id:whkr バブル崩壊前と後では別の国だからね、ここ。
- id:new3 バブル前後ですごいかわると思う。ゼミ内じゃんけんで決めたりしていた時期もあったよ。
- id:nenesan0102 バブル期に従姉妹が慶応に行っていた子が友人にいるがバブル期の就活の引く手数多ぶりはすごかったらしい。ちなみにこの友人も同じく慶応だが、氷河期で就活に失敗、いまだに非正規。
- id:chaz_21 バブル云々よりインターネット普及の方が影響大きいような。採用側もインターネット前は残業して電話かけまくる毎日だった。しかも家電。
- id:m_h 10年前はあんまり変わらない、説明会の予約のためにパソコン前でスタンバイしてたよ。42年前の父の就活の話の記事を書いてるのでよろしければ。→http://mikihoshi.hatenablog.com/entry/2016/02/11/080000
- id:ep_meister 入社式を80年代と近年とで比較した写真を見たんだけど、80年代はスーツ姿とはいえ人それぞれファッションが違い表情も一様に明るい。対して近年のほうは服装は統一されて表情は皆硬くまるで学徒出陣みたいだった
- id:oakbow 今の50台以上はバブル期かそれ以前の入社だと思うけど、就活楽だったって聞いたな。みんな5社くらい活動して決めてたって。バブル以降は100社にES送るとかになってるけどね。
- id:tick2tack この手の話、大卒かどうかや都市部か地方かで話が全然違うからな。マスコミが取り上げるのは都市部の大卒の話ばかりで、TVニュースでやってる就職活動と自分の周りの状況が違いすぎとよく思ってた。
これもあるし,文系と理系,学部学科でも違うし,業界や職種でも違うし,一流大学と三流大学でも違うし,男子と女子でも違うし,建て前と本音も入り交じるので,全体像を知るのはすごく難しいと思う.
- id:natsuhuku 難波先生の『就活の社会史』おすすめ。新書だからすぐ読める
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バブル(ネット普及前)
- id:nanoha3 バブル以前はリクルーターと会うだけで内定、その場で即他の企業に断りの電話入れさせられて、そのまま温泉とか海外に連れてていかれ、就活期間が終わるまで1週間監禁されるけど好きに経費使えるという世界。
- id:sakidatsumono 30年前、男子は本棚一個分、女子は電話帳サイズのカタログが送られてくる。自由応募でいくつか見た後、大学推薦で大手製造業。
- id:mohno 30年前はバブルだったなあ。学校側で1社に1人という制限してた時代だった。まあ、そういうまともな就活はしなかったけど:-p
- id:blue0002 ダンボール何箱分も資料送られてきて、せっせとハガキ出して面接。でも、リクルーターとかセミナーとかの方が採用されやすかった。バブル直後ね。
- id:btoy 学校に張り出してあった求人票から一社選び、面接に行ったらその場で内定と言われ、その後ステーキ屋でご馳走になり、交通費貰って帰ってきた。この一社しか面接に行かなかったので以上が自分の就活の全て。28年前。
- id:mirinon 35年前に就活した家族曰く2-3社が普通、5社受けてたら驚かれるレベルだったらしい。また、資格職なら1社受けて落ちてからじゃないと次受けなかったとか。天秤にかけるのは企業に対して失礼だからと。某政令指定都市
- id:ko2inte8cu 『就職戦線異状なし』を見よ。まず、エントリーのハガキの山が宅配便で送られてくるというところから始まります、、、。
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ついに折れ,懇親会という名目の青田買いの現場に出向いてみた.そこは帝国ホテルの蘭だか梅だかの間.パーティをやるとか言っていたから立食かと思っていたが,フランス料理のフル・コース.ボーイは整列し,ステーキは肉厚四センチを誇り,二次会の銀座のバーでは化粧のくどいホステスを制して社長がビールを注いで回り,専務が口を開けてメロンを食べさせてくれた.
その場は和やかに歓談してハイヤー直送便で帰ったが,後日,再度の呼び出しをかけた電話でカワイイお嫁さんになるんです,と断ったら,向こうは突如としてひるみ,怒り心頭に発して六桁もある請求書を送ってきた.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%88%A6%E7%B7%9A%E7%95%B0%E7%8A%B6%E3%81%AA%E3%81%97
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http://mihocinema.com/syuusyoku-zensen-20471
http://www.excite.co.jp/News/90s/20161021/E1477055798800.html
映画冒頭で山の様なリクルートの求人情報が一方的に送りつけられます。
http://hyokki.blog.so-net.ne.jp/2016-04-30-1
あ,やっとコレの画像見つけた.ネット登場以前の就活の常識だけど,それ以降はおそらく完全に無くなったものじゃないかな.この画像一つでも,ネット後の世代がそれ以前を知る貴重な資料と言える.
バブル全盛期の様子がそこかしこに感じられ,記録としても価値の高い作品(?)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%88%A6%E7%B7%9A%E7%95%B0%E7%8A%B6%E3%81%AA%E3%81%97/151426/review/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%B4%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E2%80%A6/58/?c=1&sort=lrf
と言いたいところですが,バブルを知らない方々には伝わりづらいでしょうか。
たとえば私自身,会社説明会のために東京に行ったら即日内定とか,会社説明会のために東京に行ったらいきなり立食パーティーとか,会社説明会のために東京に行ったら交通費と言って5千円入りの封筒を渡されたりとか……公務員志望だったためあまり熱心に活動しませんでしたが,これぐらいの経験をしました。
面接のようなものも受けましたが,「公務員試験に通ったら断ってもいいですか?」なんて言っていました。
それでも簡単に内定が出て,正直,就職をナメてました。
バブルとは,そんな時代でした。
DVDないか探してたら「就活戦線異状あり」というのもあったけど,これ関係ない奴だよね?紛らわしい上に,駄作らしい.*1
ネット前,バブル崩壊後
- id:daichiiii 21年前だけど、まだメールとか一般的じゃなくて、資料請求とかエントリーシートみたいなのを手書きでガシガシ書いてて、選考に落ちた場合、結果が自宅の留守電に入ってたりした。
- id:mawhata 私は大学院に進んだので就活しなかったけど、20年前なら同級生はハガキ100枚とか書いていて、就職氷河期だったせいもあるのか、男子には進学組でも勝手に来るカタログが女子には来なかったり、していた。
- id:coopanda 葉書を何十枚も書いて、資料が郵便でたくさん送られてきたよ。手段がデジタルになっただけで、根本的には変わってないと思う。なにか他にやり方はないのかね。
- id:zuna 大卒女子の就職率最低記録を未だ保持してる99年、大学生協で本の奥付見て片っ端から住所電話メモして、葉書100枚送った後電話かけまくってどうにか小さな出版社に潜り込んだ。特殊な例
- id:senomama 就職氷河期1年目。まだ男子は求人あったが、女子は全く無くなった。資料請求しても男子はもらえるが女子には来ない。食品メーカー志望だったけど、未来の客にすることかと憤慨した。男女雇用機会均等法は大ウソ。
インターネットと携帯電話の普及
- id:ustam 20年前のネット普及前の就職氷河期は、資料請求葉書を企業に100通くらい手書きで書くのが普通。大学名や性別によっては資料すら送られてこない。その前のバブル期は、企業から誘いが来るのでそこから自由に選んでた。
- id:honeybe 約20年前に就活したが求人票 or 就職説明会への参加じゃなかったかな?電話連絡が基本なのでめちゃくちゃ電話した。就活のために携帯電話買った人も居た。
- id:strawberryhunter 就活サイトがまともに機能するようになったのは00年代前半以降。私は5月に合同説明会参加から。50社申し込んで全部玉砕している人はすでにいた。企業がメールを使わなかったので電話は主に日程調整用に双方が使った。
- id:gakuhiro 2002年卒業。IT系の技術職は結構緩かったけど、それ以外は内定でない人がたくさんいたかな。リクナビはあったけど、今みたいにSNSがなかったので知り合い以外と情報交換はほとんど無かったと思う。
- id:houyhnhm 1998年度の時には何故か勝手に本が送られてきて(大学によって厚み異なる)そのハガキで資料請求。2002年度の時にはリクナビマイナビになってた。あの辺りから就活産業が本格的になっていったように思う。
- id:Dai44 はがきと固定電話とポケベルだぞ、家族が社名を聞き取れないと即お祈りだぞ
- id:yakouhai 10年前は大して変わらない。と思いきやガラケー全盛期なので、説明会予約は休み時間に大学の共用PCでやったりして、今よりは大らかだったのである。SNSもmixiくらいで、色々と見えづらかった。
- id:mashori インターネットでのPRがコレからは必要です!ってアピールしたら『はあ?ウチはそんなものやりませんので』って断った3ヶ月後にwebで新卒求人始めたセガを忘れない
バブル崩壊で一人あたり100枚の応募ハガキを送るのが普通になり,企業側の負担も大きくなってたのではないかな.大企業なら何万枚以上のハガキが送られてきて,そこから人海戦術で選抜し,何千枚という説明会のハガキを送付し,履歴書を受け取り面接し……という一連の作業をするわけだ.
そりゃWebアプリによる電子化/自動化の強いニーズがあったのではないだろうか.それこそ90年頃からずっと.
ネットの普及後.(バブル崩壊後)
- id:pazl 10年前は大して変わらんな。ただ、氷河期だったから内定ないやつは沢山いて、就活留年とかもよくあったよ
- id:sidecar_ni_inu 10年前。リクナビその他のサイトが標準。僅かに自社HPエントリーもあり。WEBか実際に行ってSPI受験。エントリーシートはメールかWEB送信し、通過したら面談。DMも来てたけど、どちらかと言えば学生が応募しまくるスタイル
- id:paradisemaker 俺は早稲田一文だったけど、2000年卒業で友達は100社受けても1社も受からない、受かってもどブラック、みたいな世界だったよ。就職氷河期第1波。
- id:tydk27 10年前、私の知人から200社受けたと聞いた。合格したのは1社だけ。壮絶すぎて、私は就活から逃げて入院したが、やはりそれも失敗だったと今は思う。
- id:giovannna 12年前。総合職となると自己分析やら3年先、10年先のビジョンとやらをやたらに求められ閉口した。そんなん大学生にわかるわけなかろうが!結局資格を取ることにして、進学資金を貯めるため一般事務で就職した。
その他
- id:fuck-it 2000年代前半だとIT系技術職はすぐ決まったよ。文系は東大生でも就職できないやつはいっぱいいた。この頃からコミュ力がどうのとか変な方向に行ってブラック企業とか増え始めた感じ
- id:Dursan 20年前程度だと今とそんなに変わんないよ
- id:i_ko10mi 13年前の就活は今と変わらないよ。めちゃくちゃ氷河期だよ。今との違いは乗換案内がガラケーのiモードからスマホになった程度じゃないかな。
- id:haruhino えっ10年て割と最近でしょ!?そんなバブルとか言ってるスパンじゃねーですよ!
- id:pernodoom コンビニで就職・転職雑誌見なくなったのって10年前ぐらいからな気がする。
- id:hilda_i 大学3年の頃、学科生の就職率が過去最悪なの100%学生の自己責任だとされて大学側は何もしなかったけど、4年時に大学存亡の危機に事務局が立ち上がって就活講座が次々立ち上がったけど対象学生は一二年で4年は見捨て。
これは何年頃なのだろう?
バブル崩壊だけが単独で発生し,「同時に起きたOA革命」なんてものはなかった.*2
OA革命?そんなのバブル期以前のコピー機やFAXの時代から言われてるんじゃね.明確に「何年に起きた」って線引きもできないと思う.
インターネットに関しては,バブル崩壊が1991年.ネットや携帯電話(もちろんガラケー)の普及は90年台中盤以降.(全学生への普及となると,90年代末くらいだと思う.)J2EEが使われ出したのは2000年代に入ってから.本格的なWebアプリもそんなもんだろ.(それ以前はPerl CGIなど.)いずれもバブル崩壊と同時には起こりえない.
バブル崩壊後の90年代はインターネットもE-mailも(ケータイ電話も)普及しておらず,ハガキ職人よろしく何十枚も何百枚も手書きハガキで応募する他なかった時代があるのだ.企業からの連絡は郵便または家の固定電話ね.
ついでにメモ
何故、余っていたはずの会計士が足りないのか。
http://anond.hatelabo.jp/20170430045545
当時もリクルートが就活大手で、大学3年生(2年だったかも)になるとみかん箱1箱くらいある企業ガイドとハガキが送られてきて(電話帳がみっちり詰まってるような感じ)そのハガキを出して企業説明会に申し込む。ひとりあたり300通以上出すのは当たり前。当然全部手書き。
女の場合は300通出して、「企業説明会」に行けるのが10〜20社くらいだった
とにかく内定が取れなくて、地獄のような時代だったな
親世代は「楽勝だろ」という認識のままなんでさらに地獄だった
なぐさめてくれる親など幻想.
http://anond.hatelabo.jp/20170513081857
97年新卒だった。
就職関連の何かに自分の住所とか電話番号とかを登録しておくと、大量のDMが届くようになるのでそこから気になる会社を選んでエントリーするのが一般的なやりかたっぽかった。
ただ僕らの情報・電気電子系は当時からe-mailは使えたので、一度向こうのリクルータと接触した後はメールで連絡して企業見学や面接の日程を決めていた。
ここでいうダイレクトメール(DM)って,文脈から判断して物理的な「郵便物」の方だよね.まだE-mailではない.
http://anond.hatelabo.jp/20170513091614
バブル末期。電話帳よりも分厚い就職情報誌の巻末の資料請求葉書を郵送。自宅固定電話が来る。帰宅してみると、暗い部屋の留守番電話の赤ランプが点滅しているんだわ。それからリクルーターとの面会が始まる。
*1:
「はっきり言って「就職戦線異状なし」という織田裕二主演作と間違えてレンタルする人もいるでしょう。」「何ともチャらくて、生易しくこの世を舐めている映画?としか思えません。折角、忽那汐里佑、大東俊介、佐野和真、柄本佑と言った若手俳優が頑張んて良い演技をしていたのに、結局この演出では、もう高校文化祭の素人クラス演劇のような感じでした。」http://ameblo.jp/310kenji/entry-11099856163.html
*2:仮にOA革命とかあったとしてもさ,OA機器とかPOSシステムみたいなのを導入するにも金がかかるんだよ.バブル崩壊で超不景気なのに,そんなタイミングでそんな「無駄な投資」を日本企業がするわけがない.