タミヤ模型における金型内製化への道.

全然関係ない業界のハズなのに,何故か思い当たるフシが山ほどある.

田宮模型の仕事 (文春文庫)

田宮模型の仕事 (文春文庫)

金型屋は黙っていてもいくらでも注文が舞い込んできます.それを全部受けてしまうからいけないのです.自分たちがこなせる仕事量の倍くらい,注文を抱え込んでいました.

受けるだけ受けて,それをよその小さな金型屋へ下請けに出していたのです.予定通り進むはずがありません.

どこかで聞いたような話だ.

「別の金型屋に頼めばいいのに」と思われるでしょうが,他の所は他社が押さえていたのです.金型屋には各メーカーの"色"がついていのるので,うっかり発注すると情報が漏れてしまいます.となると頼めるところはかぎられてきます.

金型屋もメーカーの縄張りがあることを知っているので,横柄な態度が変わることはありませんでした.むしろエスカレートしていったくらいです.

少しでも期日を守ってもらうにはどうするか.それは金型屋の親方ではなく,私の社の金型を担当している職人に酒を飲ませることでした.(中略)しかしそんな努力の甲斐があってか,お互いの気持ちも通い合うようになり,親方に「こっちの金型を先にやれ」と言われても,タミヤの仕事を優先して貰えるようになりました.

飴とムチというけれど,飴は営業の取り分でムチは現場の責任になることの方が多い気がするなあ.飴を出すなら現場に出さないと意味がない.

納期と同様に問題だったのが,法外な金型制作費でした.「戦艦武蔵」の時の金額が基準となりその後の金型の値段が付けられていったのです.(中略)

会いに行くたびに金型屋がリッチになっていくのが,よくわかりました.腕時計にしろライターにしろ,舶来の高級品を身につけるようになっていったのです.ある日訪ねてみると,工場の前にピカピカのキャデラックがとまっていました.(中略)

職人に「親方はどこに行ったんですか」と聞くと,「ゴルフ場だよ」.

リッチになるのは営業と管理職.でも,現場の職人の待遇は...

一方,自動的に切削加工を行うフライスや自動旋盤など,新しい工作機械も出てきました.模型屋を相手にする金型屋の多くは,新しい設備を導入する気などさらさらなさそうでした.プラモデルの基礎となる金型を外注している限り,いつまでたっても金型の技術は蓄積できません.時代に遅れるという危機感もあり,また,我慢の限界でもありました.

私は意を決して父に「うちで金型部を作ろう」といいましたが,「それは無理だ」と大反対されました.

どこの模型メーカーも金型は外注しており,それがふつうなのです.父が反対するのも,もっともな話なのですが,実際に金型屋と折衝をしているのは私です.何度も痛い目にあっているのでなんとか状況を改善したかったのです.もちろん,いきなり金型を製造することなどできません.設備も人材もないのですから.

この現場経験に基づいた決断が,プラモデル用金型業界の産業構造を変革したわけだ.数十年前のこの決断がなければ,今のタミヤ模型の品質は実現できなかっただろう.

静岡市に小さな金型屋があり,そこも一筋縄ではいかない工場でしたが,杉山さんと言う腕のいい職人がいました.以前から彼をスカウトしようと思っていたのです.

タミヤは1960年代に既にヘッドハンティングをやってたんですね.

昔の金型屋の労働環境は酷かったので,話を持ちかけると,すんなり来て貰えることになりました.

「昔の」か.良い言葉だ.

2年後の1966年からは,金型技術者養成のため,毎年3人ほど東京の金型製造工場に出向させるようにしました.2,3年の約束で修行させてもらったのです.1年ではとても技術は身に付きません.一人前の金型職人になるには,十年かかると言われてます.

とりあえず修行に2〜3年.一人前になるのにさらに7〜8年以上.良くも悪くも終身雇用時代の話だが,それでも10年がかりで育てた人に辞められては困るという意識はあったでしょう.待遇が悪ければ「できる人から辞めていく」ことは目に見えている.

派遣するのは,中学や高校を出たばかりの若い社員です.金型屋は徒弟制度ですから,辛い思いをしたことでしょう.でも当時の若い人達は,会社から将来を託されて派遣されたという責任感と誇りをもっていたので,立派にやり遂げてくれました.

どこぞの業界と違って『金型職人30歳定年説』という神話も無いのだろうな.責任感と誇りがあれば,「会社の未来のため」と歯を食いしばって耐えもしよう.この時に近い将来使い捨てにされると分かっていたら,はたして耐えられただろうか.

じゅうぶんな資料がそろい,精密な設計図ができても,それに応えられる金型技術がなければよい模型はできません.模型ができるまでの,どこをとってもおろそかにできませんが,製品の善し悪しを左右するのはやはり金型です.

上流工程/下流工程などと分類するのはバカのすること.

父も私も機械好きと言うこともあり,設備投資は惜しみませんでした.可能な限り利益を工作機械の導入に回したことが,現在の金型技術の充実に繋がったのです.また最新鋭の機械を購入したら,私自身,それを動かしてみるのが楽しみでした.

その昔おつきあいした金型メーカーの方が久しぶりに見学に来たとき,私の社の設備を見て,
「これは社長の道楽ですな.」
と,冷やかされたこともありました.従来通りの金型の製造方法では,日本人のワーカーのコストでは,海外のメーカー とコスト面で対抗できません.したがって,切削加工のスピードが上がっている最新鋭の機械を使うことは当然のことでした.この見学に来た金型メーカーにはその必然性が分からなかったのでしょう.

B29を落とすには,やっぱり竹槍じゃダメだよね.それ相応の装備がなければ勝ち目はない.