「壊れゆく日本企業が再生するために──オリンパス元CEO、マイケル・ウッドフォードの直言」

http://wired.jp/2012/05/31/olympus-scandal/
メモ.
ほとんどが「まったくそのとおり」.

解任

解任

──ご自分が中間管理職だったら、同じことをやりましたか?

そうですね。仮にこれが「オリンパス事件」が起こる前だったとしましょう。ある事件が闇に葬られそうで、かつわたしにローンがあり、ふたりの子どもがいたならば、たぶんやらなかったでしょう。結局は闇に葬られてしまうことならば、自分のキャリアや家庭をぶちこわしてまで内部告発することに何の意味があるでしょう。

ただし、これが、この事件の後だったら違います。わたしオリンパス事件について知っていて、『FACTA』という雑誌があるということも知っていますから、オリンパス内部告発者がまさにそうしたのと同じように『FACTA』に情報をもち込むでしょうね。『FACTA』はきっとそれを掲載してくれますから。

経営者でさえも闇に葬ろうとしたんだもの.中間管理職はもちろんのこと,平プログラマだと内部告発にどれほどの意味があるだろうか.


プログラマにできることは,せいぜい失意のもとで転職するか,さもなくばFACTAにたれ込むことだけ.*1

エンジニアリング、マニュファクチャリングは日本が伝統として強みとしてきたものですが、いまはもはや日本独自のものではありません。世界の製造業において日本が果たした役割はとてつもなく大きなものですが、それはもはや日本の独自性ではありません。日本にいま必要なのは、イノヴェイションと、よりよい経営判断です。

日本はエンジニアリング部門は優秀ですが、役員レヴェルにおけるマネジメントはお粗末の一言です。官僚主義に毒され、リーダーシップがありません。コンセンサスで企業の経営はできないのです。

第2次大戦以降、日本は、製品のディテールに驚くほどの執着を見せてきました。そしてそれが成功の原動力になりました。しかし、それがいまや世界中で学ばれてしまった以上、日本がいま世界に教えることができることはなくなってしまいました。いまはむしろ、日本が韓国や中国やアメリカから多くを学ぶべきときにきているのかもしれません。比べてみたら、彼らのほうがはるかに果敢にイノヴェイションを行っていることがわかるでしょう。

わたしの下にはたくさんの素晴らしい社員がたくさんいましたが、なかにはどうしようもない者もいました。しかし、日本の法律の下ではわたしには手の打ちようがないのです。日本の労働市場は、これからますます厳しいものになっていくと思います。そこにおいて、不適切な社員に対してなんの対策も打てないというのは、いかがなものでしょうか。ひとつの腐ったリンゴが、箱の中のすべてのリンゴをダメにしてしまうということは起こりうるのです。社員が空欄の小切手を手にしているような状況は、それはそれで望ましくないものです。

敵対的買収は時に起こるべきなのです。資本主義にはCreative Destruction(創造的破壊)が必要なのです。「弱さ」を排除するためのシステムもまた必要なのです。もしわたしが会社をもっていてろくに経営ができていないところに、あなたがやってきて株主には倍の配当を出すから経営をやらせてくれと言ったら、あなたがやるべきなのです。それが資本主義です。

内部告発をすると決めたら、もう後戻りはできないだろうということはわかっていました。たしかに逡巡はありました。けれども、あるとき同僚がわたしに言ったのです。「もしいま君がアクションを起こさなければ、この後ろ暗い秘密は、以後就任する社長たちに何代にもわたって引き継がれていくこととなり、それは企業にとって抜き差しならないものになってしまうだろう」と。わたしが何もしなければ、それは企業にとって負荷になっていくだろうと思わざるを得ませんでした。 本来であればこの事件を経て企業は再生しなければならなかったのですが、わたしが望んだようにはなりませんでした。役員会は銀行に乗っ取られてしまい、社長には大企業の経営などしたことのない人物が就任してしまいました。

*1:TV局?四大新聞?ご冗談を.電波利権や発行部数だけは巨大だけれども,中身が空っぽな糞マスコミ連中に何が期待できるものか.