「少人数開発と「能力プール」」
http://watanabek.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_33b9.html
突っ込みどころか多すぎて,どこから手を付けて良いか分からん.
その工夫のひとつがたとえば「フレームワーク」だったりする。じっさいのところ、少ない人員で仕事をまわすための手助けにならないのであれば有効なフレームワークとは到底いえない。
小規模開発においてもフレームワークは効果があるが,フレームワークを作るには非常に多くの手間暇がかかる.小規模な組織ではフレームワークは他社より買うか,他のコミュニティの物を利用させてもらう他ない.
人数を減らすだけではプロジェクトの「能力プール」を維持できないからだ。「能力プール」というのは遺伝学で言う「遺伝子プール」を借用した造語である。
ほう?では大企業では多様性が維持できているとでも?「サラブレッド」的な単一種による人材育成で個性的で多様な技術者が生まれるとでも?
組織だけ大きくても,金太郎飴式の画一的な人材採用と育成をしている時点で,多様性は失われる.多様性を伸ばしたければ個性的な技術者の採用(中途採用含む)と育成の方がより効果的だろう.
少数でプロジェクトを運営しようとすると、必要なレベルの「能力プール」を満たせなくなる可能性が出てくるのも当然の話だ。経営者も技術者もこれに備えなければいけない。
相変わらず論点がズレている.
プロジェクトの規模と組織の規模は関係ない.組織の規模と人材の多様性も関係ない.
ところで,この人材の多様性という観点で危険なのは,いわゆる「ぐぐる」ことへの過度の依存である.自分で考えずに誰かの作ったホームページをコピーして,それで「できた」と思ってしまう.コピーしただけではまだ何も理解していないし,何もできていない.しかも皆が同じページをコピーするから,同じ失敗も複製される.こういう劣化コピーを続ける限りは人材の多様性など夢のまた夢だ.
将来はもっと、コンピュータが、“学ばないこと”の言い訳になるかもしれない。米国の多くの学校は、子供がGoogleで何かを見つけコピーすると、それで学んでいると思っている。しかし私は、子供がそれについての作文を書かない限り学んだことにならないと主張している。作文は思考を組織化する。単に博物館の展示物を集めるだけではない。しかしほとんどの学校はその違いを分からない。
だから、理想的未来は人々が今日よりも、よりよく考える未来だが、ありそうな未来は、人々がよりよく考えないでしかもそれに気付かない未来かもしれない。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm
日本では未来を先取りしているようだ.しかしほとんどの管理職はその違いを分からない.彼ら自身がそういう未来に生きているのだから.