人月単価と文化

http://www.asahi.com/politics/update/0726/OSK200807260064.html

最後は「残る文化と残らない文化の違いは、やっている人の必死さ。消えそうだからといって、行政が特定の何かに金をぶち込むべきじゃない。やっている人間がまず努力すべきだ」との持論を展開した橋下知事

文化は「残る」ものではなく,その時代に生きる人達が「残す」もの.いつものことだが,橋下元弁護士は実に他力本願なのだよな.

それに文化を残すべきか残すべきでないかの判断は「必死さ」ではなく「善し悪し」であるべき.「オレはこの絵を描くために命をかけた.一ヶ月間不眠不休で頑張ったんだ」と言ったところで,できた絵が落書きレベルなら,その絵には残すべき価値など無い.遊び半分で作ったものでも良いものであれば残すべきだし,命を削って作っても悪いものには残す価値はない.実に単純だ.*1


こういう「必死だったから」「どれだけ手間をかけたから」というのを根拠に対価を要求する風習は人月単価に通じるところがあるが,人月単価ベースの価値観は文化やプログラマ*2殺すだろう.

実はこの問題、少なくともルネサンスまで遡れる。

ある時、ジェノヴァの一商人が、ドナテッロにブロンズの頭部像を注文した。仲介をしたのは、メディチ家の当主で、当時のフィレンツェの事実上の支配者でもあり、ドナッテロのパトロンでもあったコシモである。ブロンズ像は、見事に完成した。商人も、満足のようだった。ただ、ジェノヴァ商人にしてみれば、ドナッテロの要求した額が、非常識に思えたのである。ブロンズ像制作に要した期間は、一ヶ月かそれに少し足した期間にすぎない。一日分の労賃を半フィオリーノとしても、高すぎる、というわけである。

で、ドナテッロはどうしたか。

「おまえなどは、彫像を商うよりも、豆でも商っているほうがふさわしい」
 といって、つくりあげたばかりの像を窓から投げ捨てた。道路にたたきつけられた像は、ひしゃげたブロンズのかたまりと化してしまった。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51084069.html

文化人と言われる人たちのしょうもない意見より

それって元タレント弁護士のいうセリフじゃないような.ネタか?

*1:そして時に残酷だ.

*2:文字通りの意味で,