主観と個性,客観と無責任は違うよ

「主観恐怖症」の日本: http://mojix.org/2009/10/11/shukan_kyoufu
いつもよりはマシかもしれないけど,やはり「これはひどい」.

  • ここが核心だろう。日本のマスメディアは、「客観性を口実にどっちつかずの態度を取る」ことがむしろ望ましい、と考えているフシがある。
  • 「オピニオン」はその媒体の記者が直接書くのではなく、「誰かに言わせる」という形になる。専門家からコメントを取ったり、一般人の声を拾う。しかしその場合も、一方的な意見になるのを避けるために、しばしば「両論併記」される。

単に無知で無能でまともな主張ができる能力などなく,客観性を口実にのらりくらりと責任逃れをしているだけ.
「〜という専門家もいる」「町の人の意見を聞いてみましょう」なども,全部マスゴミの色眼鏡越しのもの.自分達にとって都合の悪い意見は全部検閲済み.

ライブドア事件が起きたとき、ホリエモンに対する扱いが一夜にして反転したのがいい例だろう。それまでチヤホヤされていた人が、いきなり集団リンチの対象になるのだ。

ある意味象徴的だね.

マスコミに対して敵対的買収をしかける存在はマスコミの敵だ.マスコミの敵に対しては,マスコミはその権力を総動員して徹底的に弾圧する.必要があれば国家権力だって利用する.「国民の知る権利(笑)万歳」だ.



そんで途中から「個性」の話にすり替える.「報道に対する無知と無責任」と一人一人の人間の個性と一体なんの関係があるのかと.創造的な発想と主観とも必ずしも関係しない.むしろ自分の主観や常識を廃して客観的にあるがままの世界の真実を捉えるのは,自由な発想への第一歩であることが多いだろう.


たとえば

私は国内では、免許を持ってなくて困ったことは一度もない。タクシーを全面的に自由化して、自家用車と競争させればいい。

http://twitter.com/ikedanob/status/4758656144

という発言も彼の主観においては正しいのかもしれないが,少し冷静になって客観的な視点で見れば,実に馬鹿げた愚かな意見でしかない.