「20代の70%が今の生活に「満足」」?

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111116dde012040015000c.html
この刹那的で自堕落な生き方は,今の20代もまだ"lost generation"だというだけのことではなかろうか.

"You are all a lost generation."

日はまた昇る (新潮文庫)

日はまた昇る (新潮文庫)

日はまた昇る

日はまた昇る

  • "あなたたちはみな、途方に暮れてどうしようもない世代なのよ。"
  • 戦争のむごさに直面して,これまでの宗教的,道徳的価値観がまったく無意味になった,虚無に陥った世代である.
  • lost generationは伝統的に「失われた世代」と訳されてきたのだが,本当は「人生の迷子になった世代」を示している言い方である.
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20091110/p1

ところが26歳の社会学者、古市憲寿(のりとし)さんはいう。

既にツッコミが出てるけど,「社会学者」という経験や知識が物をいう分野で,しかも大学出たばかりの言わば「青二才」のこの人のいうことをどれほど信用していいものだろう.*1

「世代間格差に一番怒ってるのは40代のオジサン世代じゃないですか」。

まあ,いうまでもなくこれは当然.*2

たとえば親のすねかじってる大学生はもちろん,20代の若者が非正規雇用のフリーターで年収300万でも,まだそんなに不満はない.*3 *4 *5 でも10年たって30代半ばにもなって,スキルも上がって会社にも貢献して,それでもやっぱり非正規雇用の年収300万だととっても不満を持つ.そして40代になって会社を支えるようになってさえも,やっぱり非正規雇用の年収300万だとどうなるかな?ましてその人が結婚を考えたり子供を持ったりしようとすると,絶望さえする.*6

追記


それが今の日本の持つ世代間格差の問題だから,社会経験もろくにないし結婚適齢期にも余裕がある20代だとまだ実感をもたないのはあたりまえ.まだ鬱や過労自殺の経験も少ないだろう.*7でもその20代が10年たっても,やはり本当に不満を持たないといえるのかな?今の中高年フリーターだって,まさか今後20年もフリーター人生続けるとは,1991年当初は思っていなかったと思うよ.

この文章だけ読むと「今の若者が昔の若者と違って幸せだ」と誤解するかもしれないけど,そうなのではない.今の中年が若者だった頃は,今の若者と同程度にはワーキングプアというものを実体験としては理解していなかったし,だからこそ今の若者と同程度には「幸せ」(或いは「不幸せ」)だったのだ.その時だけは.*8

仮にも社会学者を騙るなら,そこまで見越して語るべき.

http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20080820/p1
http://anond.hatelabo.jp/20080816045217
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20090829/p1
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20090607/p1

就職氷河期世代を救う」というのは、事実上「年功序列に代わる、ポスト高度経済成長時代の新しい枠組みを創る」というのとイコール。

実はこれは氷河期世代以下の人間にとっても重要なのだが,彼らは生死が関わるほどせっぱ詰まっているわけではない.バブル世代より上はこの制度から甘い汁を吸っているので,なんとか現状を変えずに定年退職まで逃げ切ろうとしている.自ずと大きな声を上げるのは氷河期世代に集中する.*9

http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20080106/p1

“35歳

“35歳"を救え なぜ10年前の35歳より年収が200万円も低いのか

古市さんは言う。「『昔は良かった』ってそれ、いつの話です?」。

誰も「昔に戻りたい」なんて言ってないんだけどな。論点をすり替えてる


もう二度と「高度経済成長」もないだろうし,馬鹿げた土地バブルだって来て欲しいとは思わない.

にもかかわらず年功序列賃金や大卒一斉入社や,さらには青田刈りに就職氷河期,終身雇用神話のような時代錯誤な制度を温存し続ける意味なんてあるの?もう時計は過去へは戻らないからこそ,新しい時代に合わせた新しい制度が必要になるんだよ.

これを契機に若い人には真剣に考えて貰いたい.

ちょっと景気が良くなった,悪くなったでまるでメモリのスポット価格のように乱高下する新卒採用に一喜一憂し,卒業年度に景気が悪かったという自分ではどうしようもない理由だけで人生のレールからはみ出して『欠陥品』扱いされる日本が,はたして労働者に優しい国と言えるのか.一度レールからはみ出せば再チャレンジすることもできず,本人の努力や能力や成果ではなく生まれた年度だけで決められてしまう仕組みは差別ではないのか.景気が悪いというだけでどれだけ優秀な人間でも『欠陥品』になったり,逆に景気がいいというだけでどれだけ無能な人間でも『幹部候補』扱いされるのは,社会の損失ではないのか.

今の終身雇用や年功序列賃金は,年々売上が増えていく高度経済成長時の社会情勢に合わせて作られたものだ.しかし1970年代頃までの「高度経済成長」など,若い世代にとっては遠い昔のものだろう.既に時代遅れになったそれらを維持し続ける意味などもはやないのだ.

http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20081030/p1

「世代間格差や若者貧困論を一番言いたがるのは40代。将来が不安なのは中高年の方では? 不安を若者に転嫁し、弱者を代弁するふりをしているだけじゃないですか。

そりゃあ20代からすれば60代70代は遠い先のことに感じるもの.自分も昔はそうでした.

でも彼らだっていつかは中年になり,老人になるんです.その時に備えた社会を作るのは大人の努めでは?むしろ若者が,自分は老人になるまで生きられないと思ってるのなら,そっちの方が問題でしょ.*10

年金制度が崩壊して困るのも若者ではない。35歳以下の半分がもう、保険料を払ってないですから」

仮にも社会学者なら,まず年金を払ってないにもかかわらず,老後に備えた貯蓄をする余裕がない危険について警鐘を鳴らさないと.

次に,近い将来年金制度が崩壊して困るのは若者でもないけど中年でもない.というか中年は自分が貰える前に年金制度が崩壊するのが決定事項なので,どっちでも関係がない.国営ネズミ講から今若者に抜けられて困るのは,今の50〜60代以上なんですな.

後から追記

ところで、勘の良い人なら、一つ疑問が残ったはずだ。
「要するに、積立不足が許されない厚生年金基金は四苦八苦しているわけだが、
より財政状況の悪い厚生年金本体は誰が負担してくれているの?」

答えは「近い将来、今の50歳未満が負担することになる」である。

http://jyoshige.livedoor.biz/archives/5061655.html

インタビューが終わったころには、東大キャンパスは夕暮れにすっかり沈んでいた。

まあいくら学力崩壊が叫ばれてるとは言え,ぶっちゃけ若い人のなかでも上位3割には余裕で入る比較的恵まれた層限定の話ですよね.絶望を感じるのは中級以下だろうから,おそらくは質問する相手を故意に間違えてる.パンが食べられないと訴えてる貧困層の話をしているのに,「俺たちは毎日ケーキをたらふく食べてるから幸せだよ」という富裕層のインタビューをまとめてるような感じ.


たとえば就職活動で100社以上応募しても一次面接にたどり着くのさえ厳しい人たち,内定無しで既卒になって途方に暮れてる人たちに質問すれば,また別の答が返ってくるだろう.特に「バブル期はいわゆるFランの学生でも,正社員の内定を複数取るのが当たり前でした.彼らを羨ましいと思うことはないですか?」と質問したら,興味深い答えが得られるのではないだろうか.


むしろここで聞くべきだったのは

  • あなたには,将来に夢がありますか?それはどのくらい実現すると思いますか?
  • あなたは10年後,20年後になにをしていると思いますか?
  • あなたは何歳くらいで結婚しますか.その時には年収どれくらい必要ですか?
  • あなたの老後はどこで,どんなふうに過ごしていると思いますか?

とかの方だと思う.

若者は本来前途有望で,大きな夢を持てる存在だ.その若者でさえも夢をもてない国なのだとしたら,この国は本当にどうしようもないと思う.

特集ワイド:「若者ってかわいそう」なの? 20代の70%が今の生活に「満足」

◇キーワードは自己充足

 世代間格差が話題だ。「若者がかわいそう」だの、「かわいそう」はウソだの、若者以外が騒いでいる。ところが26歳の社会学者、古市憲寿(のりとし)さんはいう。「世代間格差に一番怒ってるのは40代のオジサン世代じゃないですか」。ええっ!? 40代としては聞き捨てならない。ならば聞かせてもらいましょう。「若者ってかわいそうではないの?」【小国綾子】
 ◇気の合う仲間と日常を楽しみ、案外社会に真剣に向き合って、自分にできることをしようと、まじめに思ってる

 古市さんは現在、東大大学院生。9月には「絶望の国の幸福な若者たち」(講談社)、10月には社会学者の上野千鶴子さんとの対談集を出版した。ポスト・ロスジェネ世代の若者論の旗手として、今やメディアで引っ張りだこだ。

 待ち合わせ場所は、昼下がりの東大本郷キャンパス(東京都文京区)。古市さんと同世代の意見も聞きたくて、研究仲間の大学院生(27)の女性らにも同席していただいた。

 「『若者はかわいそう』と言われても僕らに実感はないですね」。古市さんはデータを挙げて説明してくれた。内閣府世論調査(2010年)では、20代の実に70%以上が今の生活に「満足」している。これは過去40年で最高で、おまけに他の世代より高い。満足度が一番低いのは50代(55%)だ。

 「デフレが進み、ユニクロやファストフードでも、お金をかけずそこそこ楽しく暮らせるようになりました。ケータイなど、友だちとつながるツールも増えましたしね」

 でも、一方で20代の63%の人が「生活に悩みや不安がある」という。80年代後半には40%を切っていたのに。「満足なのに不安」って? 「人は『将来、今より幸せになれる』と思った時、今に満足しなくなる。逆に『これ以上幸せになれない』と思うから、今に満足するのです」。つまり希望がないから「今に満足」ってわけか。見れば隣で、20代の女性2人もうなずいている。

 でも、満足している「今」の暮らしも続く保証はないのでは……。

 「ところが若者にその実感はありません。将来について尋ねた調査で『今と同じ生活が続く』と答えた20代は6割。一方『悪くなる』はわずか1割。中高年では『悪くなる』が3〜4割もいたのに」

 古市さんが観察してきたポスト・ロスジェネ世代の若者像は、こんなふうだ。日本の将来より、世界の将来に関心があり、バブル時代の若者より、実は社会や政治に関心も高い。社会貢献したい気持ちはあるのに、具体的な目標やきっかけがないから動けない。

 キーワードは「コンサマトリー(自己充足)」。「気の合う仲間と日常を楽しむ生き方。野望を抱いたりせず、友だちと一緒にご飯を食べられたら幸せ、みたいな」。そういう感覚が若者に広まっているという。「例えば、借家を仲間とシェアしたら生活費は月5万円。だったら日雇いでも暮らせる、と会社を辞めた人もいました。病気になったらどうするの? と聞いたら、『ツイッターでつぶやけば、誰か友だちが薬を届けてくれるから』と」

 思わず意地悪な質問を投げてしまった。「自己充足」って「自己満足」とどう違うの? ところが古市さん、涼しげに「まあ、同じでしょうね〜」だって。「自己が満足し、今ここで生きていく、それでいい、ってことだから」

 中国の若者には、こう言われたそうだ。「日本の学生って何だか年寄りみたいだね」

 こんな「若者論」に今、同世代から多くの共感が寄せられている。一方で、年配の人からはこんな声も。「若者はもっと怒れ!」。古市さんは「怒りは一瞬、人をまとめるけれど、それだけでは物事は動かない。怒りより共感が大事と思いますけど」と受け流す。

 でも世代間格差はもはや火を見るより明らかだ。年金や医療など社会保障を通じて若者は高齢者より1億円も損する、なんて試算を聞けば、さすがに腹も立つでしょう?

 しかし、同席の20代の面々は「あーあ、って感じ?」「そう。あーあ、だよね」。えっ、それだけ?

 すると古市さん、痛いところを突いてきた。「世代間格差や若者貧困論を一番言いたがるのは40代。将来が不安なのは中高年の方では? 不安を若者に転嫁し、弱者を代弁するふりをしているだけじゃないですか。年金制度が崩壊して困るのも若者ではない。35歳以下の半分がもう、保険料を払ってないですから」

 もっとも古市さんは、同世代の友人の起こした会社の執行役員で、厚生年金保険料を払う身だ。「どうせ僕らは将来、年金なんてほとんどもらえないでしょうが、社会貢献のつもりで払ってます」

 著書で書いている。「若者が頑張ることのできる仕組みもない社会で『夢をあきらめるな』なんて言うな。むしろあきらめさせろ」と。「フリーターや派遣で働いていて、学歴も経験もない若い子たちがキャリアアップできる仕組みが、この社会にありますか?」。研究仲間の女性もボソッとつぶやいた。「頑張ってもその先に楽しそうなものが見えないのよね。頑張ってる人も幸せそうじゃないし」

 大人の目には、不運に見える20代。物心ついた時には「失われた10年」で、就職超氷河期だニートだと言われ、育った世代だ。しかし彼らの目には、上の世代も幸せに見えないらしい。

 古市さんは言う。「『昔は良かった』ってそれ、いつの話です?」。モノはなくとも心豊かな「三丁目の夕日」の昭和30年代か、はたまたジャパン・アズ・ナンバーワンの80年代か、バブル期か。

 「『あの頃に戻りたい』と言われても、僕にはしっくりこないんですよね。庶民が物価高と公害に苦しんだ高度成長期や、今から見ればしょぼいシティーホテルでまずいフランス料理を食べていたバブル時代に戻りたいですか? 過労死と隣り合わせの正社員や社畜になり、何十年も先の退職金の額まで予測可能な人生を送るよりは、今の若者は自由な人生を送れるようになった、と言えるのかもしれませんよ」

 何というか、クールでドライ。でも決して、しらけているわけじゃない。「今の20代って案外社会に真剣に向き合い、自分と地続きの場所で自分にできることを何かしようというまじめな人が多いんですよ」と古市さん。

 なるほどこれが、新しい幸せの形、なのかもなあ。20代と40代が一緒にワイワイガヤガヤ。インタビューが終わったころには、東大キャンパスは夕暮れにすっかり沈んでいた。

http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/wadai/news/20111116dde012040015000c.html

  • id:lcwin 1人で今を生きるのはいいけれど、結婚子育て介護などが人生のイシューになると一変する程度だと思う
  • id:death6coin 自分で幸せを感じるのは難しくなくても、他人を幸せにするのは困難な時代だと感じるわ
  • id:soret この世代が30,40になった頃に同じように言えたら本物だろうね
  • id:softboild リアルに困窮してる人を除外して組み立てたら、まあこんな結論か、って感じ。野良猫が元気に見えるのは、元気じゃない猫が人知れず死んでくからだ。
  • id:Hiz22J 格差拡大による少数の貧困層の困窮ぶりが問題なのに、「7割は幸せ」と強弁されても…。因みに若年失業率は他の世代より高く、約10%程度だったはず。つまり、問題は残り3割の中にあるのにそれを理解していない暴論。
  • id:fukurow57 まぁだいたい同感なんだが、若者の間にも深刻なレベルで格差が開いてるわけで、東大で数人に聞いたってだけで若者の総論と結論付けるのは強引だなぁ。
  • id:kaburituki931 2,3人の意見で世代を代表するという全体主義はおかしい。「ぼくら・・」といってしまう若者もおもいあがってる。いつまで「個」をないがしろにするのかマスコミは!
  • id:nawatobi_penguin タイトルと内容があっていない/今の若い人は糧とボランティアや学業を両立させている堅実な人が多い/コメント採集対象が狭すぎる。話した内容もかなり編集して改変された可能性あり。
  • id:houyhnhm そりゃ親の庇護下から上手い具合に大学の庇護下に移れた人は実感なかろう。
  • id:otchy210 東大の大学院生と話して20代を知った気になるとか、どんだけアホなんだ…
  • id:setofuumi 任意の主語に「関東の暇な学生」とルビを振って良い例
  • id:as11by11 若者…えっ…って思ったら東大生…
  • id:whatR 『東大大学院生』は『世間が思う多数の若者』とは全く異物。
  • id:rhatter 自分たちと違う所得・学歴水準からサンプル取ってるのかって疑問が。
  • id:take1117 Fラン大学でもインタビューしてあげて!!
  • id:kiyo_hiko 格差に目をつぶった、特定世代への媚びを感じる記事。「若者にその実感はありません」とか、「今の若者は自由な人生」とか、「自分にできることを何かしよう」とか。そりゃ親も学歴もある人種は幸せだろうねえ。
  • id:anights バブルの頃を語れる歳じゃないんじゃねーの。なんかズレてんなぁ。
  • id:temtex 気持ち分からんでもないがほんとうにこんな奴ばっかになったら日本終わるぞ。好奇心はまだしも向上心の無い人間の国は想像したくない。
  • id:mitimasu 「トンカツを食べたことのない人はトンカツを食べたいとは思わない」(2009 年ごろから 2ch でたまに見るフレーズ)
  • id:ueshin 社会学者は若者が幸せというより、問題や不幸を見つけて世間に問うてゆくのが仕事なのではないか。

そもそも「「若者ってかわいそう」なの?」という問いもねえ.たとえどれほど不公平であったとしても,なかなか自分では「かわいそう」とは思わないものだよ.思うのは「理不尽だ」や「不公平だ」や「憤りを感じる」であって.*11


「世代間格差はあるか?」や「今の若者への負担や給与は不公平ではないのか」という問いなら,また答えも変わってくるだろうし,またそういう問題を,定量的な数字の裏付けをもって研究するのが「社会学者」じゃないのか.*12

  • id:conbichi こんな無意味な作文、何の意図があって掲載?毎日の中心読者層に対する「ほら、若者よりもまずは自分たちですよ、ね、おじいちゃん、おばあちゃん」みたいな感じ?

「世代間格差や年金問題について,若者は恵まれてないと中年(マスゴミ用語のロスト・ジェネレーション)は主張しているけれど,それは中年の陰謀にすぎず,若者は自分では「それなりに満足してる」(けど実際は格差はあるし,その実感を持つのはもう少し後).だから「中年の陰謀」に振り回されず,不満をもたずに今を自堕落に生きて,今の政治に批判したり格差反対したりせず,年金問題についても議論するのは避けるようにしよう」と,批判をかわしたいのではないでしょうか.

或いは「ほらこのとおり若者は恵まれてるので,今後年金や税負担でもっともっと搾取してもあなたたちは気に病む必要はありませんよ」と高齢者に現実から目をそらせるか.*13

「【社会】東大エリートの『名誉若者』論に巻き込まれるのは御免です」

http://busidea.net/archives/3725

で、タイトルにもなっているのだけれど、上の2記事、どう読んでも銀座のクラブで酔ってる重役のおじさまたちの口に甘いことばっかり言ってて、経済的に言説的に、その他もろもろ抑圧され続ける若者の困難を見ないふりして「僕らは幸せです」と言い切っているんだが、なんで黙って『名誉若者』やってるんだろう?というのが不思議で仕方ない。

こんなこと言ったら「そっかー、最近の若者一般はこれから給料増えなくても別に不幸じゃないんだ、じゃあウチもこのままでいっか」と、自分に都合良く解釈する経営者が居ないわけがあるまいよ。勘弁してくれ。

というか、『若者』という言葉自体がそもそも緩やに少しずつ色を変えながら折り重なる属性で、ここで語る『若者とは何か』を先に定義しておかなきゃお話にならない。それくらい百も承知でしょうに。

ここで出てくる「若者」は東大の大学院にいけるくらいの学力と経済力を兼ね備えた,それなりに恵まれた富裕層の話のようです.そりゃ幸せだろうよ.

ここでいう、”若者は誰?” ”僕ら”って誰? を宣言してから始まる話のはずなのに、それがすっぽ抜けている。だからものすごい違和感があるんだ。これを大学でやったら、ウチだったら余裕で先生から突っ込みもらいましてよ、ていうか卒論でこんなの査定通らないでしょうに。ネットの記事だったらちょっとくらいミスリードさせてもいいんか?という話。

たとえば、古市さんがもしバイトを掛け持ちしながら2児を育てる母子家庭のお母さんで「毎日バイトはキツイですが、なんとかやれています。子どもは元気だし、ご飯は食べられるし、幸せです。だから『若者はかわいそう』と言われても、私にはあまり実感がありません」 と言うなら感動的な話になります。けれど東大エリート学生さんが若者代表って言われても、そりゃあお金持ちが集う最高学府で博士課程まで進むような方ですもの、労働に押しつぶされそうで、でもそこから逃げ出せば生活が成り立たない(と思っている/思い込んでいる/思い込まされている)人たちの気持ちを理解するよう努める、というのも厳しい話でしょうか。それとも、これはちょっと逆差別が過ぎますか?ごめんなさい。でも、「『若者はかわいそう』と言われても僕らに実感はないですね」というその一言に下敷きにされ苦しむ人たちの顔が浮かぶようで、私にはとても賛同できない話です。少なくとも、この記事によって、”若者”とひとくくりにされうる26歳女子の心は傷つきました。

激しく同意.

「歩合制の仕事に集まる米大卒者―保険やナイフを販売」

http://jp.wsj.com/Life-Style/node_341660
さらについで

営業を主体とした企業では、他社が採用を控えるなか、逆に採用を増やしている。歩合制の仕事は、通常の給与制の仕事と比べて投資が少なくて済むというのが理由の1つだ。

 多くの場合、歩合制の従業員は基本給がないか、金額が少ない。健康保険が付与されない場合もある。

ウォンさんの母によると、「夫は、ナイフを売るためにアイビリーグの大学に行かせたのではないと息子に言った」という。

 ウォンさんは現在マネジャーだが、いまでもナイフとアクセサリーを売っている。ウォンさんは、5件アポイントを取ったら、そのうち4件で取引を決められるという。

 それでも、ウォンさんは9月に両親の家に戻ってきた。1000ドルの家賃が払えなくなったためだ。子供の頃の部屋に戻り、スポーツ選手や映画「パルプ・フィクション」のポスターが貼られた部屋で暮らしている。

「震災後の日本社会と若者(1) 小熊英二×古市憲寿

http://synodos.livedoor.biz/archives/1883807.html
http://webronza.asahi.com/synodos/2012011600001.html
とりあえずメモっとく.気が向いたらなんか書くかも.

小熊英二側の意見がまともだな.ここで書いてるのとも,方向性はだいたい同じ.

震災後の日本社会と若者(1) 小熊英二×古市憲寿

古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント
  ―― 小熊英二古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部)

「3.11で社会は変わった」という言説に根本的な疑問を投げかけ、震災後の若者たちの反応は「想定内」だった、と喝破した若き社会学者・古市憲寿さん。人は自分がリアルタイムで経験した事件を過大評価しがちである、と指摘する小熊英二さん。この両者が古市さんの新刊『絶望の国の幸福な若者たち』で提示された「震災後」の論点に検討を加え、「本当に震災後に日本社会は変わったのか」改めて語ります。はたして今、研究者は何ができるのか――。(東京堂書店HPより)

絶望の国の幸福な若者たち絶望の国の幸福な若者たち
著者:古市 憲寿
販売元:講談社
(2011-09-06)
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■ジャーナリズムとアカデミズムの間

小熊 ご新著の『絶望の国の幸福な若者たち』を拝読しました。いろいろ欠点はありますが、ある意味歴史に残る本かもしれないと思いました。

これは必ずしもいい意味ばかりではない。たとえば、1979年に発刊された『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・F・ヴォーゲル著)は、あの時期の日本の気分をよく表したタイトルで有名になりましたが、そういう意味で名前が残るかもしれないと思います。過去の若者論の系譜を踏まえながら、現在の日本の若者が置かれている状況の統計的研究もフォローし、格差や年金財政の問題もおさえたうえで論じているわけですけれども、全体的には、若者は絶望的な状況にありながらおおむね幸福である、と捉えていますね。

古市 状況認識としてはそうですね。日本社会全体に関しては多額の財政赤字少子化による現役世代の減少と、高齢化による社会保障費の増大、廃炉もままならない原発など、まさに題名の通り「絶望」的ともいえる状況です。しかし、20代における生活満足度の推移、幸福度の推移を追ってみると、彼らの満足度や幸福度がこの数十年で最高水準であることがわかります。

また、意識ではなく客観的な水準で考えても、現代の若者は少なくとも物質的には「幸福」であるといえると思います。先行世代が残した社会的なインフラもある。本のなかでも書きましたが、そこまでお金をかけなくても、そこそこ楽しい暮らしができてしまう。さらに親世代がまだ元気だから、金銭面や住居面を含めて様々なサポートを受けることができる。そのような意味を込めて「絶望」の国なのだけれども、「幸福」な若者たちである、という題名の本になりました。

小熊 しかし前著の『希望難民ご一行様』より、新著は劣っていると思いました。前著は、ピースボートのスタッフ側の視点が欠けているとは思いましたが、一つの社会をよく描いていると思いました。たとえばピースボートに乗る人には30前後の看護師が多いという調査結果がありましたね。看護師というのは、お金がある程度作れて、腕一本で渡っていけて、真面目な人が多くて、次の職場に行く前に乗船の時間が空けられるという人です。そういう女性たちが、ここで人生の転機をちょっとはかりたいということでピースボートに乗るのでしょう。この人たちの労働状況とメンタリティをよく表しています。

それに比べると、今回の本は調査がとても粗い。2、3人街頭で捕まえて聞いただけみたいなものが多いですし、あなたが自分の持っている憶測や仮説を当てはめて全体を作ったように感じます。調査というのはちゃんとやれば自分の仮説が打ち崩されるものなんですけれども、安全な範囲で聞いているなという印象を持ってしまいました。

ただ、たぶんこれが今の日本社会の気分なのだろうな、というものを捉えているとは思います。その点は、あなたの優れた勘を示しているし、その意味で歴史的な本になるかもしれないと思いました。

古市 2、3人よりは多いと思いますが、そこにサンプル・バイアスという問題があるのはご指摘頂いた通りだと思います。

『希望難民ご一行様』はもともと修士論文として書いた論文です。だからはじめから研修者目線で、何かの規範的な命題を打ち出すためというよりは、先にフィールドワークのデータがあって、そのなかからどのように論文を組み立てられるかを考えて書いたものです。自分がピースボートのなかで見てきたものや、アンケートの結果からどのような分析を導き出せるかを試行錯誤するという作業です。もともとが学術論文であるため、仮説があり、検証部があり、結論があるといういわゆる「論文」としても読めるような内容になっていたと思います。

一方で、『絶望の国の幸福な若者たち』は、はじめから「若者」について書きたいという動機があった一冊です。今僕は26歳なんですけれども、自分が若者であるうちに、若者として、若者というものを描いてみたいなという想いがありました。学術書とエッセイ、ジャーナリズムとアカデミズムの真ん中を目指した本です。自分の「感覚」というものをそのまま織り込んでしまったのも事実だと思います。

「こう思っている」とか、「こんな感じではないか」とか、論証しきれていない部分も多い。そして仮にも社会学者を名乗るならば、サンプル・バイアスがかからざるをえないワールドカップ時の街頭調査なんてやらないほうがいいのかも知れない。だけど、そういうスケッチも含めて2010年代の若者のリアリティを残しておきたいという気持ちがありました。ワールドカップのあの雰囲気を切り取るには、他に方法が思いつきませんでした。小熊さんにおっしゃって頂いた「日本社会の気分」を切り取っておきたかったんです。

小熊 別に学術書らしくないから不満だというのではなくて、著者が自分のなかに予めある見解をそのまま出しましたという本は、好きじゃないんですね。その作品を作る過程で著者自身が変化していったり、化学反応を起こしているものが好きです。そういう化学反応がない人は、何を書いてもみんな同じになってしまう。

あなたが今、日本で若者と分類されるぐらいの年齢で、ある種記念写真的に書いておきたかったというのであれば、それはそれでいいと思います。たぶん35歳になってオーバードクターの年限も切れ、学術振興会の助成金も取りそこね、時給800円の職しかなくて親の介護が必要になりはじめたら、「なんとなく幸せ」とは書かないでしょうから。

古市 そうですね。親も元気だし仕事もある。そんなに毎日の生活に不満はない。だけど、そのリアリティが「自分だけ」のリアリティとは思いません。この5年間ぐらい、世の中には不幸な若者論―非正規雇用者がこれだけ多くて若年層はこれだけ貧困な状況に置かれていて、若者はなんて可哀想なんだ―という議論が世の中を賑わせてきました。しかし、それも一つのリアリティなんだけれども、「幸せな若者がいる」というリアリティも確かにある。親の経済状況や大学進学率を考えると、それは決してマイノリティとはいえない。もちろんどっちが正しい、間違っているというわけではなくて、それを示すこと自体が、論争なり話し合うきっかけにするために必要なことだと思ったんです。だから「著者自身の変化」や「化学反応」というものは、むしろ本を出版したあとに色々と経験しました。

■現在の若者が置かれている状況

小熊 つぎに今の日本の若者の状況を考えましょう。前提の一つは、ポスト工業化社会への移行です。情報技術の進歩で選択肢や柔軟性が高まり、長期雇用が短期雇用に切り替わり、非正規雇用が増えて雇用の不安定性が高まる社会ですね。ニューエコノミーともいわれますが、そうなると自分の選択可能性も広がるんだけれども、相手から選択される可能性も増える。たとえば面接にたくさんアプライしなければいけなくなるし、自分が選ばれない可能性も増えます。

結婚相談の仕事をしている方が出した本の中に、女性は「普通の人」を求めているということが書かれていました。しかし、普通の人というのは、容姿が普通(1/2)×性格が普通(1/2)×収入が普通(1/2)×趣味(1/2)……とやっていくと、0.数パーセントしかいないんですね。選択可能性が広がってくるというのはそういうことです。

また、今の日本の状況としてもう一つよくいわれるのが、企業と学校があまりにも強固な場として機能してきたから、そこから外れてしまうと承認される場がなくなってしまうということです。高卒で非正規になってしまうと、もう「居場所」がなくなってしまう。さらに、新卒一括採用が中心なので一度こぼれてしまうと敗者復活ができない。

古市 まさに『希望難民ご一行様』の主題がそういった問題系でした。

小熊 そうした日本の状況のなかで、承認を求めるために、いろんな場所に集まってくる若者たちの気分を、あなたは描いていますね。

■タイで「ユニクロ」「東芝」はステータス

小熊 またあの本には、「安く物が買える」ということが、若者が幸せを感じられる根拠の一つであると書かれていました。私はやはりそうなんだと思うとともに、もう少し全体状況のなかで位置づける必要があると思いました。

たとえば服を安く買えるというのはどういうことか。先月、タイに行ってバンコクユニクロ伊勢丹を見てきました。ユニクロではTシャツが299バーツで、1バーツが2.5円ぐらいですからだいたい800円くらい。日本とたいして変わらないんですね。

古市 タイの人々からすれば、安くないということですね。

小熊 それはどういうことかというと、ユニクロの製品はカンボジア製だったりして、日本で売っているのもタイで売っているのも同じものなんですよ。

古市 輸送コストが同じということですか。

小熊 輸送コストは多少違うかもしれませんが、基本的には同じ工場で作っていて、労働賃金が同じなんです。バンコクでは電気製品も東京と値段がほとんど変わりません。たとえば東芝の電気製品はベトナム製です。日本の感覚では安いんだけど、タイの感覚ではそんなに安くない。タイの人たちにとってみると、ユニクロの服や東芝の電気製品は、ステータスシンボルなんですね。

私が現地の講演で、日本の貧困層というのは一見貧乏に見えませんという話をしました。なぜならユニクロの服と東芝の電気製品は持っているからです。時給700円で月200時間労働すれば、200時間働くのはけっこう大変ですが、14、15万稼ぐ。家賃に7、8万払うとしても、カンボジア製の服とベトナム製の電気製品は買える。親の実家に住んでいればもっと余裕があるし、古着で買えばもっと安いです。私の今日の洋服は下北沢で700円で買いました。全身、たぶん2000円か3000円で済んでます。

古市 いつも服は下北沢の古着屋ショップで買われるんですか?

小熊 あるいは、yahooオークションとかです。

古市 そうなんですか(笑)。今日の対談はそれをお聞きできただけでも価値があると思います。

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■問題は30歳を過ぎてから

小熊 しかし、こういう若者は30歳を過ぎると苦しくなってきます。まず、可処分所得の半分ぐらいを家賃で費やしてしまう。親と同居だとしても、給料が上がる目処がないから家を買えない。結婚ができない。親元から出られない。子供が作れない。勢いで子供を作ったら、高等教育はできない。今の日本で子供を大学まで卒業させるには、だいたい一人3000万円。全部私立に行って私立の医科歯科大に進めば6000万円以上します。到底そんなことはできるはずはない。

なぜこうなるのかというと、説明は簡単です。工業製品は輸入できます。だからカンボジア製の服やベトナム製の電気製品は、日本のワーキングプアは買えるんです。ところが、土地は輸入できない。だから家賃は高いし家も高い。それから次に輸入できないのはサービスです。特に教育サービスは輸入できないから高いんです。

たとえばタイでラーメンを食べると50〜100円ぐらいですが、日本で食べれば500円です。原料代は似たようなものでも、日本人が作っているから高いんですね。タイで中国製のインスタントラーメンを買うと日本と同じ値段です。タイではベトナム製の電気製品を買って、カンボジア製のユニクロの服を買って、インスタントラーメンを食べているのは中産階級のシンボルなんです。

ところが日本のワーキングプアというのは、電気製品を買ってユニクロ着て、インスタントラーメン食べるしかないんです。でもそれは、タイの人から見ても、そしておそらく日本の年長者から見ても、一見豊かなんです。「貧乏だというけどきれいな服を着ているじゃないか」というわけです。だけど先の展望は全くない。この問題に気づくのはたぶん30歳を過ぎてからなんだろうなと思います。

古市 本の中で「貧困は未来の問題、承認は現在の問題」と書きましたが、20代ではそのようなことに気づきにくいということですね。30歳を超えて自分がそういう状況に置かれてはじめて気づく。

小熊 たとえば、95年ぐらいの漫画を見ると、この人たちはどう考えてもその後の展望がないなと思える職業の登場人物が出てきます。21、22歳ぐらいのフリーターでレジ打ちとか、それでフリーのカメラマンもやっているとか。しかし、非常に今を楽しんでいて、将来もなんとかなるだろうと思っている。

95年ぐらいの時点では、まだ非正規雇用の激増がはじまったばかりで、その人たちが先行きどうなるかというのは社会全体でもわからなかった。でも、さすがに今は、若いときに非正規になるとその先がないという不安を、みんな薄々感じはじめている。だから大学生を見ていても就職活動にものすごく熱心です。しかし、そこのルートに入れなかった人も、とりあえず服は買えるし、電気製品は買えるし、ネットはやれるし、20代のうちは「とりあえず幸せ」と思っているかもしれません。

古市 しかも、一見そっちのほうが幸せそうに見えてしまうんですね。

小熊 そうですね。その状態が発展途上国の人たちや、日本の年長者から見ると豊かに映るということもわかっているから、それで豊かだと思ってしまう。しかしみんな、それが先進国型の貧困形態だということが、まだよくわかっていないと思います。たぶん、あと10年ぐらいしたら、それは貧困生活なんだということを、20代が前提にする時代がくると思いますね。

■ヨーロッパ型の労働モデル

古市 20代の若者が、フリーター的な生き方を30、40代まで続けていくというモデルはありえないと思いますか。

小熊 現状の日本の制度ではありえないですね。あなたがいう「フリーター的な生き方」というのが、「とりあえず幸せ」をずっと続けられるという意味なら。

古市 ヨーロッパでは、20、30代前半ぐらいまではフリーター型で生きてく若者が多いという前提で、労働市場教育機関の往復が可能な仕組みを持つ国が多いですよね。ニューエコノミー的な労働の流動化を前提として、いろんなセーフティーネットがこの20年間で張り巡らされてきました。

小熊 そういわれますね。

古市 スペインは2010年10月段階の調査で25歳以下の失業率が48パーセントといいます。一方で日本では若年失業率が10パーセント以下です。この数字だけを見て、ヨーロッパはすごく失業率が高いのに、日本はすごく低い、なんていい国なんだと単純な紹介がされがちですが、実はヨーロッパではセーフティーネットがあまりにも充実しているからこそ、若い人は働く必要がないという状況があります。無理して働くくらいなら、政府から失業保険をもらったり、職業訓練を受けて、働かないほうがましだと思っている層が多数いる。今の日本は、このようなヨーロッパ型の労働市場へ移行する過渡期といえるのでしょうか。

小熊 過渡期なのかどうかはわからないですが、まずあなたもご存知の通り、雇用慣行が変わらなければだめです。新卒一括採用が中心で、フリーター経験のある人間を雇いたいという企業は1.3パーセントという状況が変わらなければね。それから、日本のセーフティーネットをこれから整えるかどうかということになってくると、財政は苦しいから難しいところです。

日本のフリーター層は、大卒や大学院卒もいますが、やはり高卒が多くて、高校卒業のときに正規雇用ルートに入っていけなかった人たちです。90年代に高卒労働市場は1/5くらいに減ってしまった。昔だったら高校から工場に一括採用してもらえたようなルートが崩壊し、高校を卒業してフリーターになるしかなかったような人たちがたくさんいます。いったんそのルートに入ってしまうと、現在では将来のモデルはほとんどありません。

日本で若年失業率が、ヨーロッパのようには上がらないのは、一つには働かざるをえないからです。つまり、敗者復活の機会がないからです。ヨーロッパなら、時給数百円の非正規雇用でずっと働くくらいなら、失業保険でしばらく耐えようとか、その間にもう一回学校に行ってキャリアアップして正規雇用に就こうと考えます。しかし日本ではそういうモデルが成り立っていない。学校に行きなおしたところで、新卒から漏れると正社員になれる目処がないから、時給800円でも働くしかない。

アメリカやヨーロッパだったら、展望もなしに非正規でずっと働く若者が少ないから、若年失業率が上がって移民が入るんです。ところが日本では、正規雇用のチャンスを永遠に失い続ける若者と、女性と子育てを終えた主婦が働くので、移民が必要ない。移民なみの条件で働く人たちがいるからです。

■高卒者の不遇

古市 非正規雇用の人は、本当に働く場所がないんでしょうか。たとえば過剰な大企業志向というのがよくいわれています。新卒一括採用にしても、大企業に入れる倍率を考えてみると、確かに学生2人に対して1人分しか席が用意されていない。一方で、中小企業であれば、学生1人を中小企業が4社以上で争っている状況です。マッチングがうまくいけば、一生フリーターはフリーターでいなきゃいけないという状況は、あまり想定できないのですが。

小熊 大卒に関していえば、あなたのおっしゃる通りです。でも大卒は半分強。残りの半分はどうなるか。大卒が中小企業に就職したら、大卒に就職市場を食われた分だけ、あぶれる人が出ますね。

古市 大卒の新卒一括採用の問題ばかり取り沙汰されますが、確かに、この20年間、産業の空洞化やグローバリゼーションの影響で、ブルーカラー系の職業が減りました。高校を卒業したら、たとえ苦手だとしてもサービス業をやるしかない。もしくはどうせ仕事がないから大学に行くしかないと、逆に大学の進学率がどんどん上がっていく。

小熊 そうです。あとは専門学校ですね。

古市 高卒の人たちが、不遇な状況に置かれているのはその通りだと思います。

小熊 高卒一括採用で工場に勤められるというルートが崩壊しても、ほかのモデルがない。高卒でサービス業に就いても一生時給数百円、しかも35歳まで。専門学校に行ったところで、音楽ではほとんど職がないし、美容師は溢れかえっていて、過酷労働になっているのはご存知の通りです。

古市 そうですね。美容師に関していえば、だいたい東京都内だと時給換算すれば、それこそ200、300円ぐらい。月給20万円以下で朝から晩まで休みなく働くような人がものすごく多い。一見、美容師やミュージシャンは夢に満ち溢れた職業に見えます。高校生が将来何になりたいかを考えたときに、手に職があって、しかもちょっと世の中にちやほやされる、そうした職業に就きたいと思うのは自然なことだと思うのですが、実際のそのルートは極めて過酷です。

小熊 私は貧乏ミュージシャン友達が多いので、そういう人たちが40歳を過ぎたらどういう境遇にあるかは、わりと知っています。

古市 みんなが憧れるクリエイティブな職業に就いたとしても、30歳くらいまではいいけれども、30、40代になるにつれて不遇と呼ばれる状況に落ちざるをえないということですよね。

小熊 20代後半から30歳前後に運良くある程度までいくと、スタジオミュージシャンとしてなんとか食べていけるぐらいのレベルに到達する。そこでまだ若いし、未来があると思うから、自分はこのまま上昇し続けると思ってしまうんですね。ところがミュージシャンの一生なんていうのは、20代から30代前半がピークで、40歳を過ぎるともうつらい。若い人がどんどん出てくるし、掛け持ちでやっていたバイトも35歳までの募集が多くて、だんだん苦しくなる。劇団なんてもっと悲惨ですよ。公演があるたびにバイトを辞めなきゃいけませんからね。

■好きなことを続けられる環境はない

古市 『希望難民ご一行様』で書いた問題意識とつながってくると思いますが、みんなが夢を追えばいいとか、好きなことをやったらいいといったメッセージが世の中には溢れています。だけど、当たり前のことながら、誰もが夢を叶えられるわけではない。結局は社会的弱者にならざるをえない可能性が、今の日本社会においては高いということですね。

小熊 ニューエコノミーと非正規の増大という先進諸国共通の現象と、いったん正規雇用からあぶれると復活のチャンスがないという日本独自の現象とが複合していますが、今のところはフリーターに将来のモデルはない。今の40代以上だったら、その道をあえて選んだ人たちも多いかもしれませんが、30代半ばぐらいだったら、就職氷河期で否応なく漏れおちてしまった人たちが多いです。今これらの人たちは大変です。今の20代の人たちは、繰り返しいいますが、そのことがあまりよくわかっていないと思います。

古市 だけど「画期的な生き方」や「一部の成功例」にばかりスポットライトが当たります。たとえばシェアハウスにしても、本当は貧しくて住居をシェアせざるをえない人がいるにもかかわらず、メディアが注目するのは、先進的な高学歴の人たちが集まったシェアハウスばかりです。こんなクリエイティブなことが起こるんですよ、とか。そうせざるをえない人を無視して最先端だけが注目されてしまう。

小熊 まあそうですね。どの業界でももちろん成功者はいますから。弁護士でも医者でもミュージシャンでもなんでも、一番成功した人を拾ってくれば輝かしいです。もちろん学問業界のなかで、あなたが一番下に入る可能性ももちろんこれからいくらでもあります。

古市 小熊さんが26歳のときはどのような人生を描いていましたか。その頃は岩波書店にお勤めされていたと思いますが。

小熊 古い体質の会社勤めにありがちな悩みでしたね。命令通りに人事異動を受け入れて、明日から営業に行ってくれといわれたらその通りにしなくちゃならないので、自分のキャリアプランが立たない。それで得意分野を身につけないと消耗品になってしまうと思って、30歳のときに大学院へ行きました。結果として学問方面へ進んでしまいましたが。

古市 多くの人は限界があると気づいても、結局はそこの企業にしがみつくか、せいぜい転職するしかない。20代に将来の展望を持てというのは、そもそも難しいと思います。

■日本でやれることは何か

古市 20代のうちは、やっぱり将来のことをそこまで真剣には考えられないと思うんです。もちろん漠然とした不安はあるんだろうけど、それは分節化されないもやもやした不安に過ぎない。雨宮処凛さんや赤木智弘さんが自分たちの不遇な状況を訴えはじめたのは、彼らが30代になってからです。20代のときではない。しかし、そうしたことを意識せずにいる20代が多くいる現状において、一体何ができるのでしょうか。

小熊 包括的な案が出せれば私は救世主になれます。最低限日本でやれることは、雇用慣行を変えることでしょう。それが変わらないと、敗者復活できる目処がない。それが変わっても救われない人は出ますが、モデルプランが立てられる分だけ、今よりましにはなります。ただそうなれば、低賃金で展望のない非正規職なんかで働くより、職業訓練でも受けて正規職を狙うという人が増えるでしょうから、若年失業率は上がると思いますが。

古市 上がらざるをえないということですか?

小熊 そうなればヨーロッパ、アメリカ型に近づいてくる。そして日本の若者が敬遠する低賃金非正規労働市場に、移民が入るでしょう。

古市 しかし、雇用があまりにも流動化して、会社をどんどん変えていくような社会において、果たして人は幸せでいられるのかという問題もありますよね。

小熊 流動化せざるをえないのはニューエコノミーの必然です。日本の場合は、その潮流に抵抗して、正規職の流動性を低く抑えている分、しわ寄せで非正規の不安定性が高すぎる。

(つづく)

「震災後の日本社会と若者」(2) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1884961.html

小熊英二おぐま・えいじ) 
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。主な著書に『単一民族神話の起源―<日本人>の自画像と系譜』『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮―植民地支配から復帰運動まで』『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』『1968』『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』他。

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古市憲寿ふるいち・のりとし)
1985年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。著書に『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)。共著に『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります―僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)。

*1:つか出てるよね?まさか出てないで,この年齢で自称学者ってことはないよね?

*2:正確には30代後半から40代前半くらいかな.つまりバブル崩壊直後の第一次就職氷河期に新卒で就職活動して,バブル世代のツケを一方的に押しつけられた貧乏くじ世代.

*3:すね囓ってない貧乏学生ならば,もっと認識が異なるんだろうなあ.或いは20代でできちゃった結婚しちゃって,必死の思いで出産費用やら子供の養育費やらを稼いだ経験のある人とか.

*4:奨学金についても,もらってる段階ではそんなに不満はない.その後10年たっても半分も返済できてなかったりすると,それが不安や不満になる.

*5:某業界みたいに「休憩ねえ,定時もねえ,終電以外は見たことねえ」な激務なら不満も持つけど,たとえコの業界ではそれが普通でも,全体からすると例外だと思いたい.

*6:さらにその上にこんな感じの「上級SE(笑)」な人がいると,激しく怒りを感じるようになる. http://el.jibun.atmarkit.co.jp/pressenter/all_entrylist.html

*7:自殺までいっちゃうと,統計にも出なくなるけど.

*8:幼稚園児や小学生相手に「今の受験戦争/就職活動は厳しいと思いますか?」と質問するような感じ.どれほど受験戦争や就職活動が厳しくても,幼稚園児や小学生にはまだその実感は沸かないだろうし、「厳しいと思ったことはない」のもごく当然.

*9:これ書いたのはサブプライム問題が表面化する前の2008年1月.そのあと1年もたたずにリーマンショックが起こり,生死に関わるほどではないにせよ,かなり追い詰められた若者が多数出ることになったのはご存じの通り.

*10:この人は本当に社会学者か?むしろ「自称」社会学者な臭いがするぞ.

*11:「青春時代が夢なんて 後からほのぼの思うもの 青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり」という流行歌もあったっけか.今聞くと一瞬「人生の迷子になった世代」の歌かと思うぞ.

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*12:世代間格差は生涯賃金,未婚率と出生率,税負担と年金額などに如実に出ている.大卒内定率や有効求人倍率生活保護世帯数や自殺者数,鬱病の患者数なんかもそうかな.
ワーキングプア」とか「フリーター」って単語自体が、1991年から始まった第一次就職氷河期以降に作られた比較的新しい造語なんだよね.「内定切り」とか「就職氷河期」さえもそうかも.

*13:言われてみれば高齢者視点なら「かわいそうなの?」という上から目線的な問いも納得できるな.若者は若者をかわいそうとは思わない.若者をかわいそうと思うのはむしろ高齢者.ちなみにロスジェネ=貧乏くじ世代は思わないと思う.自分達の方がよほど恵まれていないから.むしろ「同情するなら金をくれ」の世代.