匿名ダイアリー「古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件」

https://anond.hatelabo.jp/20190812012815
古市憲寿なんて久しぶりに見た.あのエセ社会学者のことだよな.同姓同名の別人じゃないよな.まだ息してたんだ.

まず山田詠美はこう書く。“(参考文献の)木村友祐作「天空の絵描きたち」を読んでみた。

そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法。候補作よりはるかにおもしろい”

“候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る”

続いて川上弘美“結論からいいます。わたしは悲しかった。木村友祐さんの声がそのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまったからです”

“古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持にかける行為であると、わたしは思います”

吉田修一。“本作に対して、盗作とはまた別種のいやらしさを感じた”

“あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。”

堀江敏幸“他者の小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか”(原文では「かっぱいでも」に傍点あり)

要するに、古市さん、文芸誌に掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである。

なんかすさまじいことになってる.

文学界 2012年 10月号 [雑誌]

文学界 2012年 10月号 [雑誌]

木村友祐「天空の絵描きたち」
出典:『文學界』2012年10月号
評価:★★★☆☆

http://08yo.blog61.fc2.com/blog-entry-37.html
基本に忠実でいい小説でした。ビルの窓ふきを受注している会社の社員たちの小説です。展開はある程度読めてしまう部分があるものの(危険な現場で作業する人たち、頼りになる先輩、今度映画いこう、とくれば先輩死亡フラグたつでしょう、そりゃ)、人物や仕事状況の描写が丁寧なのでそれほどわざとらしさは鼻につきませんでした。ワルモノにも共感できる面があったり、イイモノにも下卑た部分があったり、登場人物が結構いながらそれぞれ多面的な側面が描かれていたのも読んでいて、ああこういう人いるいるという感じでリアリティがありました。

百の夜は跳ねて

百の夜は跳ねて


だが,今までの「社会学者」としての発言の薄っぺらさを知っていると,さもありなんと思える.

本業でさえあの有様だった人が,専門外に手を出せばそんなものだろう.*1

津田大介も最近話題の人だなあ.悪い意味で.

ワタシが小さい会社を都内で立ち上げた時、二人目のバイトとして雇った学生がいた。その学生バイトは学校を卒業した後最初の正社員となって、他の社員が入ってきたら辞令とか出してないにも関わらず副社長を名乗り始めた。
ちっちゃい会社というのは順調に成長してても一年ぐらいで微妙に頭打ちになる時期がくる。うちにも来た。そしたら「副社長」は「この会社辞めます。ひいては今担当していた仕事を持ってっていいでしょうか」と。大甘だったワタシはうんいいよと言ってしまった。
で、辞める直前になり、彼が在職中にやってた仕事の報酬を自分の口座に入金させていたことが発覚した。この時点で懲戒解雇相当なのだけどどうせ辞めるのだからと最終月の給与の支払いをやめて横領を不問にしようとした。彼が自分のポッケに入れちゃってたのは最終月とその前の月の分なんだから、これでも大甘であった。が、彼は「給料を出せ。労基署に訴えるぞ」とか連絡してきた。
「いやそうは言っても君。自分で副社長って名乗ってたろ? 副社長って労働基準法で守って貰える対象なの?」と言ったらそのまま何も言わなくなった。
でまあその彼は最近いろいろお騒がせなのだが、思慮の浅さと肝が座ってないところは全然変わってないよな、と改めて思っている今日このごろ。

津田大介くんって言うんですけどね、彼。

追記:他にもいろいろあるけどとりあえず民事で止まってくれるお話ということで。

https://www.facebook.com/masaaki.takayasu/posts/2440104432721507


今見たら「津田大介×古市憲寿」なんて,いかにもな「類は友を呼ぶ」.




ネタの丸パクリといえば「「魔理沙とアリスのロボット工学三原則 殺人事件」を思い出す.これだってアシモフ作品を読んでなければ気づかないものね.


アシモフ関連作品には,「バイセンテニアル・マン」や「夜来たる」のように,短編版を元に書き直した長編版にしたものがある.
聖者の行進 (創元SF文庫) アンドリューNDR114 (創元SF文庫)

夜来たる 夜来たる 長編版 (創元SF文庫)

基本的なプロットこそ同じだが,ストーリーが大幅に肉付けされてページ数も増えてるし,基本的には別作品だ.それでも著者にはアイザック・アシモフの名前がある.

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190812012815

  • id:laranjeiras 当代登山家の栗城史多評に似ているね。登山/文学を極めた結果、名前が売れたのではなく、名前を売るための手段として登山/文学を選んだ人。彼を売りたいメディアが裏に見え隠れするのも似ている。

「登山家としては3.5流」の「プロの下山家」か.

大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。

「この人、どうかしてるんじゃないか?」

https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post.html

https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html
https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/

エベレストに挑戦!(成功するとは言ってない)」とか「芥川賞候補!(受賞するとは言ってない)」とかを宣伝には使うけど,挑戦してるだけで決して達成できるレベルではないのは見る人が見れば一目瞭然.エベレストや芥川賞を宣伝のための手段としてしか見てないから努力もしないし実力も伴ってなくて,底の浅さが見透かされて専門家からは酷評されるということかな.


わざわざ同じ人に取材はしてるから「元ネタが同じだからパクリではない」という言い訳は一応成り立つ.前述の「魔理沙とアリスのロボット工学三原則 殺人事件」と同程度のパクリ作品でも,もし仮にこれが実在の殺人事件をモチーフにしていれば盗作という判決を引き出すのは難しくなるだろう.

しかし文学作品を創作してるはずなのに,同じ元ネタを使い同じプロットでオリジナリティーのない類似作品を書き上げたのだとしたら,これはもう作家としてダメダメだろう.*2 普通は同じネタなら切り口を変えたり取材元を追加/変更したりする.それができないなら違うネタを探す.


同じ作者でも過去のそれと類似の作品を出しても,マンネリとか言われるんだ.他人がマンネリ作品を作った場合は,盗作や二番煎じと言われて当然.そんなもので文学賞を狙おうなど恥ずかしくないのか.

古市憲寿さんの「百の夜は跳ねて」と木村友祐さんの「天空の絵描きたち」に関して」

http://hibi.hatenadiary.jp/entry/2019/08/20/093207
追記

普通、小説でも記事でも論文でも、同じテーマの先行する文献があれば、それを「踏まえて」書く。踏まえ方には色々あるけれど、テーマが近接していればしているほど、正面から向き合わざるを得なくなる。結果、ある種の対話関係が発生する。

近代文学で一つ例を出すと、金閣寺の放火事件(1950年)という実際の出来事があった。これを三島由紀夫が『金閣寺』という著名な長篇小説にしている。1956年発表。その約十年後の1967年に水上勉が同じ事件をもとに『五番町夕霧楼』というやはり長篇を書いている。

水上勉は参考文献として掲げたりはしないが(当時そんな習慣はない)、三島由紀夫の作品を意識していた。超有名な作品なので言うまでもない。というか、三島由紀夫の事件観・犯人観に反論するつもりで、水上は同作を書いた。三島は自分の「美」についての観念を作品に盛ったのに対し、水上は実際の犯人の生い立ちや内面を追った。

古市さんの「百の夜は跳ねて」は、木村さんの「天空の絵描きたち」が提示したプレカリアスな状況の中で、誇りを持って働く主人公やその仲間たちという「職人」の物語について、なんらかの応答を含んでしかるべきだった。が私には、それが読めなかった。腹を立てた芥川賞の一部の選考委員たちにも、そうだったのではないかと推測する。

「百の夜は跳ねて」にとって「天空の絵描きたち」は、単なる便利に使った情報源の一つでしかなかった、というように見えるということである。


問題はこの先である。じゃあパッチワークして何をどう書いたか?その質は?という話である。ちょっと辛口になってしまうけれど、私には「百の夜は跳ねて」はパッチワークの、それぞれの布片が、布片のままになりがちで、全体としての図柄が浮かび上がらなかったと思う。

オブラートに包んでるけど,「情報源や元ネタをコピペして繋げただけで,一つの文学作品にさえなってない」ということじゃないのか.

*1:本業でやらかしすぎたから社会学の世界では誰からも相手にされなくなって,文学の世界で賞をとって,「なんたら賞をとった有名な人」という肩書が必用になったのかな.バックについてるのは経団連あたりか?経団連に都合の良い情報を発信する「学者」(自称)は重宝するからね.

*2:しかも批評を見る限りは文章力でも数段劣る様である.