「雇用の流動化バンザイ」(ただし自分たちは除く)
http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20081217
ついでにメモ: http://q.hatena.ne.jp/1229725650
なぜか「すばらしい」という意見が多いけど,こいつは全然分かってないと思う.
そもそも『先送りされた』なんて他人事みたいに言うな.自分たちが痛みを背負うのが嫌だったから『先送りにした』だけだろと.
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20081217
はい.全体のまとめおわり.
若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)
- 作者: 城繁幸
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/09/15
- メディア: 新書
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- 企業と労組との"共犯関係"は誰かも言ってたけどそういう前提があるから組合の人間から「ワーキングプアが云々」とか話されても白々しく感じるんだよなあ(実話)
- 人件費を削減したい企業側と雇用を安定したい組合側の落とし所として、新卒採用を控えたんじゃないのか。若者にババを引かせただけ。
- そもそも先送りを可能としたのが「労働者の権利」。努力の問題じゃないというが「生産性を上げるための努力」そっちのけで「権利を守るための努力」を怠らなかった人たちが勝ったというお話。
住宅ローンなんて論外だし,礼金も連帯保証人も廃止すべきでしょうね.家賃ももっと下がるべき.
政府ではないでしょうね.経済活動において,政府ができることなど非常に限られてます.
「よどんでいる場所=中高年正社員&経営者」.まずはその聖域にメスを入れないとダメですよ.*1
- 具体例:「非正規雇用や若手が切られて、何で管理職は切られないんだろう?」http://d.hatena.ne.jp/sync_sync/20081211/1228925091
- 大手派遣業者が「うまい蜜を吸っただけ」で、期待される機能を果たさないのはなぜだろう。「足りない雇用」が無いのか、見えていないのか、派遣従業者の選り好みなのか。
- 余ったパイは食い散らかされた残りもんだわな.だから新規参入者が著しく不利になったわけだが...
『余ったパイ』などないでしょうね.美味い汁を吸ってるのは派遣会社でもない.一番美味い汁を吸っているのは,彼ら中高年正社員です.*2 *3
美味い汁は最初に(中高年)正社員が全部吸っています.その食い散らかした残りカスを,派遣会社が食い物とされた若者に再分配しているだけなのです.*4 *5
- "「雇用を流動化させればすべて解決する」という共同幻想"ってあったのかな?とは思ったが(以下略)
これはキッパリと言うが,そんなものは無かった.ひょっとしたら彼らはそれを信じたかったのかもしれないけれど*6,そんな物を信じている若者などいなかったと思う.
それこそ今年,内定を取り消された人たちに聞いてみればいい.雇用を流動化すれば,あなたの内定取り消し問題の痛みが,すべて魔法のようにどこかに消えてしまうのかと.*7
- 調整弁も、気づかないような場所にいれば、水漏れしてても12年も放置しといてもらえたのよね。できれば、そのまま放置しといてほしかったなぁ(ダマレ
- なるほど。正社員だったけど、私(女性)も「自分は調整弁だな」と若いころ実感してました。
- 流動化すれば、子どもたちの将来がどうなるかを考える余裕が無かったのかなと。例外はあるでしょうが今の20代30代は不安定就労か安定していても長時間労働で、人口減るよねえと。
というのが労働組合関係者の視点でしょうね.彼らにとっては犠牲になる若者など,同じ人間とは思っていないのですよ.
あの時点でこうなることは分かっていた.ただ目をそらしておけば,自分の懐は痛まない.痛むのは名前もしらないような若者達だけだ.じゃあそれでいいじゃないか.それが彼らのやったことだ.
- 90年代に産別の幹部だった人か。政労使三者の論理をナマで知っている人だな。
でもまだ就職していない若者達は,蚊帳の外におかれていた.「バブルと終身雇用のツケは全て,将来を背負う若者たちにおしつけよう」.それが彼らの出した答だった.
そして今もまた,あの時と同じ失敗を繰り返そうとしている.
今の状況はつまり、バブル時代のことをまったく反省してこなかったんだねってことが明るみになっただけでなく、状況を今まで悪化させてきたってことだよな?
日本の製造業は直ちに再編が必要っぽいね。
http://d.hatena.ne.jp/yasutakaff/20081220/1229707556
- 労働党(派遣クロイツ)って駄洒落が思いついたけど、多分言わないほうがいいんだろう…。
「国家社会主義ドイツ日本労働者党」ですね?そういえばゲシュタポ人事部とかあるなあ.*8
http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20081217
元記事.
20世紀の最後、私は某業種の産業別組合(産別といいます)の地区委員長をしていました。
非正規雇用とか世代間格差の問題は,経営者と労働組合が結託して行ったもので,いわば労働組合は共犯者だ.派遣会社はさしずめ実行犯だね.
終身雇用と年功序列賃金は『高齢者主催のネズミ講』であるため,このままだと破綻するのが目に見えてたんだよね.そこで彼らは『ネズミ講』を破綻させるのを先送りにして,自分たちだけは逃げ切ろうとした.ネズミ講の主犯は元締めだけど,元締めに近くて新規会員の勧誘に積極的だった参加者は,はたして被害者だろうか?それとも加害者だろうか?
労働組合や終身雇用は「社員の生活を守るため」に存在する.*9
じゃあ話は簡単だ.「社員じゃない奴」を食い物にすればいい.そうやって若者を食い物にしようとしたのが1991年から始まった就職氷河期と,非正規雇用の増大だ.*10
「雇用の流動化」は必要だよ.だけどこういう連中のいう『雇用の流動化』とは,他人である若者達の流動化であって,企業の中で最も高い給料が払われ最も重荷になっている高所得の中高年労働者や,或いは「経営者」や「御用組合の責任者」のような身内の雇用の流動化は意味しないのだ.彼らだって自分の身が一番可愛いんだよ.
もちろん彼らが全てその給与に見合うくらい高い能力を有し,且つ企業がそれだけの高収益を上げ続けているなら問題はないが,現実はそうではないよね.
城:「じゃあ、最初は新卒基準で、二年目からは出来る仕事の内容に応じてお給料を設定するといいうのは?」
A:「それって職務給じゃない(笑) まあ実はそれが理想だよね。でもそれも難しい。組合員は全員同じ人事・賃金制度の適用が大前提だから、結局は全社員に職務給適用って話に膨らんじゃう。労組はもちろん、うちの上司も猛反対だよ。彼なんて、新卒初任給でも高すぎるくらいだし」となると、やはり落としどころとしては、中高年の年齢給は既得権として保障しつつ、抜擢に際してだけ職務給を導入するキヤノン式がギリギリ精一杯ということになるか。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/17090/2615563#2615563
「我々組合側は成果主義型賃金の導入には全面反対です」と組合役員が方針演説をした後で、青年部(30歳以下の組合員)代表が「我々は賛成です、勝手に反対しないでください」とぶちあげたのだ。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/17090/1636702#1636702
実は、組合内部でこういった“世代間のギャップ”が存在するところは少なくない。一般に組合サイドは成果型制度に否定的ではあるが、青年部あたりにとっては、「定期昇給も無い、かといって抜擢も無い」ではシャレにならん、というのが本音だろう。
ここでは解決策にワークシェアリングを上げているけれど,その時もかれら「中高年正社員の分不相応に高すぎる給与」という聖域には手を付けないつもりだろう.今でさえ非正規雇用の給与は低く抑えられているのに,それがワークシェアリングによってさらに1/2〜1/3になって,一体どうやって生活していけるというのだ??
それはやがて、若さの特権といいますか、それ以上にバブル時代のイケイケなノリの残滓といいますか、株式市場の大衆化に裏付けられたベンチャーへの憧れともあいまって、「できる奴は企業に使われなくてもやっていける時代」への変化が要請されてきます。
もちろん、よりネガティブに、就職氷河期の中で、新卒全員が企業に勤められないからこそ企業に勤めなくても仕事ができる仕組みとして、「企業に勤めなくても働ける時代」への変化が要請されたと言い換えてもいいです。
アホか.寝言は寝てから言え.A級戦犯の責任逃れの言い訳にしても,できが悪すぎ.老害の思想,ここに極まれりと言う所だね.
その後,バブルが崩壊し景気は最悪.新規雇用が大幅に減らされ,その世代は就職したくでもできなくなった.それがここでいう「ロストジェネレーション」.*3
んで,その頃に「新時代の労働スタイル」としてフリーターを紹介していたのが,朝日新聞その他のマスコミだったのだ.もちろん所詮は「日雇い労働者」に新しく貼られたレッテルに過ぎず,安定性も将来性はほとんどない.しかし当時はまだインターネットも普及しておらず,フリーターがどれほど将来性のないものであるかを,広く宣伝するのは難しかったのだ.*4
『ロストジェネレーション』も,別に「やりたいことをやるため」にフリーターになったわけではなく,新卒採用数の大幅削減のために少なからぬ人間がその道を選択するほかなかったのだ.その最大の原因はバブルであり,バブルを起こしたのはここで言う『ロストジェネレーション』ではなく,その上の世代だ.非難するならバブル世代こそを非難すべきですね.
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20070430/p6
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20080106/p1
求められたのは年功序列賃金や終身雇用からの脱却であって,若者を非正規雇用に押し込めることじゃなかった.そもそも個人事業主が,個人で企業や経営者を相手取って対等以上の取り引きができるんなら,労働組合なんていらんのよ.
個人と組織とでは力に差がありすぎて対等の取り引きが成立しない.本来なら労働組合とは労働者が経営者と対等の交渉の舞台に立つための武器となるべきだったのだ.
そもそも就職氷河期世代は,バブル期の大半を受験戦争を乗り切るために過ごした.戦後最も狭き門である最難関の受験戦争を戦ってきたのだ.バブル期の甘い汁など一滴も吸っちゃいねえ.あえていうなら進学塾や予備校や私立高校への教育費として注ぎ込まれただけ.
ところで大学については
進学希望者数 − 大学の定数 = 不合格者数*11
という式が概ね成り立つものと思う.*12同様に新卒採用については
新卒の人数 − 企業側の新卒採用人数 = 非正規雇用 + 失業者*13
という式が成り立つと思うんだが,それでなにゆえ非正規雇用が自己責任ということにされるのだろう?
http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20081217
■ここのところ、派遣従業者やパートタイム従業員について書こう書こうと思いつつ、テーマをまとめられずにいました。そんななか、ふと出会ったエントリーがありましたので、そのエントリーの疑問について私が知っていることをお答えする形でまとめてみることにします。
派遣社員はなんで派遣社員にならざるを得なかったの?anond.hatelabo.jp
以下私のブックマークコメント
yellowbell 労働問題 外的要因と内的要因がある。前者は不況に喘いだ企業の要請により、労働者派遣事業法の業種が拡大されたこと。後者は「雇用流動化」のスローガンを信じ、40歳以降膠着する労働形態であることが読めなかったこと。 2008/12/17
この問いが投げかける「素朴な疑問」は、派遣従業者の心情をあえて(ほんとにあえて)無視して言えば、至極当り前な問いです。
これは、派遣従業者を他の職業に換えても成立します。「やむを得ずと言いながら、結局は自分で選んだ道でしょ?」というあらかじめ用意された身も蓋もない結論は、多かれすくなかれすべての労働者の日々の暮らしの中には潜んでいるものだからです。
その至極当然の問いが、なぜ派遣従業者にとって酷なことばになるのか、ちょっと私の体験でお話をしたいと思います。
■20世紀の最後、私は某業種の産業別組合(産別といいます)の地区委員長をしていました。
同時に自分が働く会社の執行委員長もしていましたから、企業の団体交渉と地区の産別労使懇談会(労懇)で経営者の方と意見を交換していました。
その時はすでにバブルが崩壊し、企業の業績も産業全体の安定性もすでに悪化していました。
そんな世相の中で、当時は春闘(しゅんとう:春季生活闘争)でベースアップを企業に要求していました。
ベースアップというのは、たとえば私の給与が去年より上がる単なる「賃上げ」*1ではなく、給与体系にある賃金テーブルを上昇方向に上げること(俗に賃金カーブを押し上げるともいいます)で、企業にとっては前年度よりも人件費をより多く見積もることになり、大きな負担でした。
長引く不況に喘ぐ企業としては、1.不況なので売上は上がらない 2.その中でも設備投資しなければ商品の競争力が落ちる 3.金融不況でもあるので株主にそっぽを向かれたくない 4.つまり、人件費は抑制したい 5.とはいえ単なる人減らしだと有能な人から早期退職してしまう という問題を抱えていました。
一方でその組合としても、1.不況で物価が上がり生活が苦しい(当時は不況になるとインフレ傾向でした) 2.残業が減って手取りも減っている 3.バブル期に組んだローンも残っている 4.ベースアップと言わないまでも賃上げは必要 5.とはいえ企業がつぶれては仕事がなくなる という課題を抱えていました。
■そんななか、相次ぐリストラで浴びた返り血にうんざりしてきた経営陣の要請で、そもそも人件費を抑制するために多大な労力を使う正社員ではなく、パートタイマーを企業の主要業務に取り入れられないかというアイディアが浮かんできます。
組合としても、倒れそうな企業から賃金をむしり取るような交渉はできず、かといって横並び春闘*2の中でおもてだった賃下げに応じるわけにもいかないため、従業員をパートタイマー化し雇用を守りながらしかし同時に組合員を減らすこと*3で、パイを減らすことなく配分する人数を減らしながら個々の組合員の賃金モデルは維持させるというアクロバットに出ます。
そしてその両者の利害の一致の先にあったのが、「雇用の流動化」という用語です。
■一方で、年功・能力主義*4から成果主義に傾きつつあった日本の労働界の中で、着実に成果主義的な考え方はバブルの恩恵を受けられなかった若い従業員を中心に広がっていました。
それはやがて、若さの特権といいますか、それ以上にバブル時代のイケイケなノリの残滓といいますか、株式市場の大衆化に裏付けられたベンチャーへの憧れともあいまって、「できる奴は企業に使われなくてもやっていける時代」への変化が要請されてきます。
もちろん、よりネガティブに、就職氷河期の中で、新卒全員が企業に勤められないからこそ企業に勤めなくても仕事ができる仕組みとして、「企業に勤めなくても働ける時代」への変化が要請されたと言い換えてもいいです。
そしてそこに、労使の利害で生じた「雇用の流動化」という用語がすんなりとはまったのです。
企業の要請と組合の事情で生まれた「雇用の流動化」が、弱肉強食の小泉日本前夜の「時代の空気」に受け入れられたわけです。
■さて、ここで問題。
◆問題:とあるパーティ会場のテーブルにあるパイの大きさを増やさずに、パーティ会場にいるパイを食べられる人を増やしなさい
当初、この問題への模範解答はふたつありました。
ひとつは、パイを食べる人のパイの量を減らし、増えた人に分け合う答えです。
そもそもパイにたとえたひとりあたりの労働は、残業など見ても常に超過気味でしたから、7人の残業を1日1時間づつ7時間減らして1人雇うといったような、ひとりあたりの労働を分け合うことは可能でした。
それが、ワークシェアリングです。
もうひとつは、そもそもテーブルにあるパイだけで考えず、他のテーブルに目を向けて、余っているパイをもらいにいけばいいという答えです。
決まったテーブルにつかず、パイが余っているテーブルをみつけてパイにありつく人を作るわけです。
それが、雇用の流動化です。
雇用の流動化がおきた会場の中では、「あそこのテーブルのパイが余ってますよ、こっちのテーブルはもう一杯なので、一旦こっちの待機テーブルに来てください。すぐ見つけます」とやる案内役が必要となってきます。
それが、労働者派遣事業です。そしてそれが多くの業種でできるように行われた*5のが、1999年の労働者派遣事業法改正でした。
■整理します。
・バブルが崩壊し、日本の企業は株主へのアピールとしても人件費を抑制したかったが、正社員を解雇するのは非常に難しく、簡単に雇ったり解雇したりできる従業員を求めていた。
・労組は賃下げに応じるわけにいかず、雇用を守るという大義からの撤退もできず追い詰められ、組合員を非組合員にすることで雇用を守りながら責任を回避しようとした。
・従業員の一部には、自分の境遇は自分の成果に比べて不足だという不満があり、その原因を仕事ができないくせにぶら下がっている非能率職の従業員のせいだと思っており、彼らの待遇と明らかに差をつけるべきだという空気があった。
・未就の若者の中には、企業に飼われる働き方よりも、自分の腕一本、成果さえ上げれば経歴を問われない時代を待望する空気があった。
それらのニーズの中で生まれ育ったのが、「雇用の流動化」です。
■当初は、ごく一部の人間が「いつか滞留を起こす流動化より、痛みを万人で分かつワークシェアを」と言いましたが、「今でさえすでに痛い思いをしたのに、これ以上なんで痛がるか」と取り合われず、結局「新規採用は流動化を前提とした雇用形態に」という流れが大勢となります。
当時から私の持論は、「いい時代の「雇用の流動化」は企業をブランド化し、却って仕事の選り好みが強まり、労働市場が偏重し血栓ができ流動が止まる。悪い時代の「雇用の流動化」は労働者を資源化し、労働力が廃棄・滞留されることで新規の雇用の流動も止まる」というものでした。これは、私が持っている当時の産別の議事録にも残っていますが、「有効な対案がない」ということでワークシェアごと無視されたものです。*6
それらの異論を抑え込んだのは、「雇用を流動化させればすべて解決する」という共同幻想でした。
経団連だけを悪者にする気はありません。労組だけの責任でも、それを受け入れた労働者たちの自業自得でもありません。
あのときは、社会にいるほとんどの人が、それがいい考えだと思ったのです。
なぜなら、あのときは、社会にいるほとんどの人が、正規労働者だったからです。
雇用を流動化させれば、資金がピンチの業種から人材がピンチな業種に労働力が流れる。流れないなら、誰かが目を配って流してやる。
そうやって流してやりさえすれば、実質の失業者は増えない。テーブルからテーブルに移動するだけだから、パイを食べられない人はいないはずだ。
よしんばパイが食べられない人がいれば、誰かが目を配ってパイが余っているテーブルに連れて行けばいい。
「で、それは誰がやるの?」
その問いを、当時の私たちは先送りしました。
先送りして、とりあえず雇用だけを流動化しました。
新しい働き方などといって、就職雑誌などもフリーターや派遣従業者の働き方をプッシュしました。
そこに、大手の派遣業者があらわれ、あたかも「雇用に目を配る誰か」のような顔をして人を集めたと思うわけですが、とりあえず今はそこまで語るほど私は材料を持ち合わせてはおりませんので、置いておきます。
■この質問エントリーに返されたエントリーにつけた私のブックマークコメントです。
やりたくて派遣してるってのじゃない限り、正社員になりたいなら別に問題なくなれると思うanond.hatelabo.jp
yellowbell 労働問題, 勘違い 組合にいたころ、こういうことを言う労働者が必ず一定数いた。「努力が報われる」というのは安定した組織に限られた約束であり、「努力」は労働問題の解決にはならない。だからこそ、労働者には権利が保障される。 2008/12/17
「努力すれば正社員になれる」という考え方は、個人の指針として持つにはすばらしいことですが、それをもとに制度を語ることはできません。
企業が「雇用の調整要素」として非正規労働者を望む限り、「努力しても正社員にはなれない」層が必ず世の中には存在しつづけるからです。
また、「不況時に失業者を出さないために、他の業種に容易にうつることができる」制度が「雇用の流動化」のそもそもの制度設計であったのですから、その雇用の流動化の申し子である派遣従業者がさも正社員になれない脱落組のように扱われるのはおかしいのです。
「なぜ、派遣社員にならざるをえなかったの?」などという聞かれ方をされるような働き方でなく、「派遣のやりがいはなんですか?」と聞かれるような、そんな働き方でなくては、「雇用の流動化」は成功したとは言えません。
派遣従業者が、派遣従業者としてのプライドが持てるような労働環境にするために、いまいちど労働行政・労働立法・使用者側・労働者側・そして世間全体が、公正な視点を取り戻す必要があるのだと思います。
そのためには、「誰が、余った雇用を足りない雇用に斡旋するの?」という問いに具体的な答えを出さなくてはいけません。
派遣業者は、その役目を突然放棄し結局うまい蜜を吸っただけです。ハローワークもあくまで受け身で雇用を作り出すに至っていません。
経団連にいたっては、ただのサロンと化し、農林水産業などのグローバル化で価値が上昇した新たな産業を受け入れようとする動きすら見せていません。
派遣従業者が「雇用の調整弁」であると嘯くのであれば、経済界は総力を挙げて産業全体の雇用の「調整」をすべきです。
なぜなら、流動している当事者である彼らが、定置された調整弁などになれるはずがないからです。
本来流動化された労働力の調整弁になるべきは、彼ら流動する労働力を出し入れする各企業であり、その企業の集合体である各経済団体であり、その企業と対になるべき労働組合なのです。
しかし、企業はリストラのときの甘えを残したまま、組合はいまだに生活闘争にしがみついたまま産別の枠を壊そうとせず、労働力を橋渡しできる横断的な組織を作ろうともしていません。
彼らが真の「雇用の調整弁」役を欠いたまま、目の前の派遣従業者を切れば済むと思っているのであれば、あのとき謳った「雇用の流動化」はすでに死んでいると言わざるを得ないのです。
ですから、私は、断じて派遣従業者の境遇を自業自得などとは言いません。
私たちが派遣従業者を憐みの眼で見つめる「今」は、間違いなくあのとき私たちが先送りした「今」なのですから。
1:ここはわかりにくいところですが、個別の従業員の業績を積み上げていくうちに、出世した人や職能が上がった人の分として給与が上がる総額として、「賃金の自然上昇分」という概念(俗に「賃金カーブの維持」とも呼びます)があり、それはその当時の私の産別の賃上げ交渉の中には入っていなかったのです。
2:当時は産別全体で賃上げやベア(ベースアップ)を要求しており、ひとつでも賃金が下がることは、よその企業組合の足を引っ張ると言って忌み嫌われた
3:当時、パートタイマーは労働組合員の対象ではありませんでした。したがって、私のいた産別ではパートタイマーになった従業員は、組合員の資格を失っていました
4:能力主義というのはある意味学歴主義と言ってもよく、「何をしたか」ではなく「何ができるか(何をしてほしいか)」で評価することです。したがってよく成果主義と混同されがちですが、あくまでも出来高で論功する成果主義とは対極にある人事評価です。
5:これには経団連の強い要請があったとされています
6:だからどうしたということはありません。私が正しかったと言うつもりもないし、ワークシェアを進めてればよかったというわけでもないでしょうし。
*1:でもここで元記事を書いた件の人物は,その聖域の中の人間なんだよな.そして自分がそうであることを気付いてないか,気付いているけどシラを切っている.
*2:500万円分稼げる労働をする社員が10人いたとします.うち9人の若手の給料を400万円にして1人の中高年管理職の給料を1400万円にする.これが(高度経済成長期の)年功序列賃金のカラクリ.
問題は9人の若手が中高年管理職になった時.81人必要だけど若者の数が頭打ちで40人しか確保できなかった.(バブル期の「超売り手市場」)「じゃあ彼ら一人当たりのノルマを倍にすれば問題ないよね.」(バブル期の過重労働.)
40人のうち30人は非正規雇用にしたから,管理職に昇進するのは多くても10人だ.でも若者の数が減っていて今度は20人しか確保できなかった.(ここ数年の「バブル期以来の超売り手市場」.)「大丈夫.彼ら20人の若手には倍の1千万円分の仕事をさせて,しかも給料を200万円に抑えればいい.こうすれば『正社員の生活』は守られるよ.組合バンザイだ.」
そして若者の過労死は自己責任.異論は聞く耳を持たない.http://www.doblog.com/weblog/myblog/17090/2615608#2615608
*3:マスコミとか御用組合とかも同様.しょせんは「同じ穴の狢」なので,この問題については一切触れようとしない.
*4:「余っているパイ」という思想は,「雇用も金もいくらでもある」という思想に基づいているよね.まるで「医者なんていくらでもいるから,再配分さえすれば医療崩壊は起こらない」というような.でも実際には雇用にしろ医者にしろ(或いは技術者にしろ)パイは限られていて,その限られたパイを奪い合っているのが現状だ.むしろ状況は「カルネアデスの舟板」の方が近いかもしれない.
*5:そういう意味ではベンチャーなどは「新しいパイ」を焼く作業と言えるけれど,これには非常に大きなリスクを伴う.米国などはベンチャーを優遇することで新しいパイを増やそうとした.日本政府は既存の利権や古い産業を守るために総力を挙げてベンチャーを叩きつぶした.http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20080803/p1
*6:ある意味で彼らにとってはそれが『真実』なのだろう.裁判をおこして「私は真実(=自分に都合の良い結論)が知りたいだけなんです!」という人いるよね.あれと同じ.
*7:長期的にはその方向へ向かうべきではあるし,流動化していればそもそも青田刈りも内定取り消し問題も起こらなかったと思うけど.
*8:だからこそ人事部の待遇は良い場合が多い.口止め料や賄賂の類だね.
*9:ここでいう『生活』には長期の住宅ローンや子供を大学まで行かせる教育費なども含む.住宅ローンを贅沢品と思わない彼らは,夕張市職員を笑えないと覆う.
「妻と小学生以下の子供三人との五人暮らし。期末手当や家族手当を計算に入れても住宅ローン、保育料などを差し引くと平均月額十九万円そこそことなる。」http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/886440.html
*10:来年起こるであろう『プチ就職氷河期』を見ると,この問題には未だ手つかずのようだ.
*11:浪人+就職 or 失業者.もちろんこれは結構な数に上った.学力が低い人は最初から諦めていた人だって多い.「大学全入時代」なんてわりと最近の話なんだよ.
*12:実際には多少の誤差を含むけど.