学歴社会を考える

でも、学歴がないから、といって、他のところを見ていないわけではない。アピールポイントの評価が他と余り変わらなければ、学歴で見てしまわざるを得ないだけで。学歴バカは会社をダメにするので、学歴がなくてもしっかりアピールしてくる人はしっかり採用している。そういう人が実際問題余りいないから、どうしても学歴偏重に見えてしまうだけで…
http://d.hatena.ne.jp/zkai/20060205

すべてがこうとは限らないだろうが,そういう人事もごく希にいるらしい.

アピールする内容は十人十色.結局は「何をどうやってアピールすると良いか?」ということを考え出す論理的思考力も実力のうちなのだ.なにもかも教えてもらわないと何もできない「教えて君」には,こういう論理的思考力や問題解決能力がまるで期待できない.
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20060316#20060316f2

学歴と自分をアピールする能力との相関関係はかなり少ない.おそらく日本全体で見ても極めてごく僅かしかいないだろう.履歴書の書き方や何かはどこかの入門書や何かを参考にする人がほとんどだろうが,そうやって万人にうけがいいようなものを作れば作るほど没個性になり,人事にアピールする内容もなくなる.*1

とはいえ,これは企業の側が望んだ結果だがね.企業の側が「個性のない扱いやすい使い捨ての道具を求む」というメッセージを流し続けてくれば,応募する側もそれに合わせた個性のない資料を作るわな.

*1:ウォークマンAとやらがこのパターン.ポリシーのない人達がよってたかって作ると,万人受けのする何一つ特徴のないありきたりな製品になってしまう.技術を知らないマネジメントの「何も捨てない」という決断が,SONY再生の旗印となる予定だったウォークマンAという製品を殺してしまったというわけだ.